シューベルト作曲「冬の旅」

 

    外はしんしんと冷えている。

    暖房をつけて、フィッシャーディースカウの歌う、シューベルトの「冬の旅」を昔の録画で視聴している。このような映像を視ながら、フィッシャーディースカウを聴けるとは、奇跡的だなと思う。

    もう50年ほども前のことになる。矢田南中学校に勤務していた時、同僚の森田博さんが、フィッシャーディースカウの「冬の旅」のレコードを家から持ってきて、放課後の職員室で、そこにいたみんなに言った。

    「フィッシャーディースカウの『冬の旅』です。みなさん、聴いてください。」

    それが初めて聞く、「冬の旅」だった。豊かな声量と寂寥感は胸にしみた。

 それから30年ほど経って、今は亡き、ドイツ文学者の小塩節の著書、「ザルツブルグの小径」という感慨深い文章を読んだ。

    「私は西ドイツの小さな田舎町のマールブルクに留学していた。冬のさなかのある日、中部ドイツのカッセルで、『冬の旅』の夕べがあるという。私は90キロの道を、ボロ車で出かけた。年老いた山の狩人のような菩提樹の並木はどこまでもつづき、道はつるつるに凍っている。朝10時ごろに昇った冬の太陽は、地平線のすぐ上の、灰色の層雲のかげに、終日そっと隠れていて、3時ごろにはもう沈む。

    古い王宮での演奏会、私には心にしみる絶品だった。

    孤独と絶望感、すべての人間的コミュニケーションを絶たれた近代的自我が、死を願いつつ、容易に死に身を任せるのでなく、手回し風琴を鳴らす老人を道づれにして、旅を続けてゆく。その絶望感は、近代的自我そのものである。

    冬の白一色の壮絶な自然、それはかえって生への強い励ましとなる。」