ある小ガラスの話

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  ヘルマン・ヘッセに、「小ガラス」という文章がある。

 ヘッセがバーデンというところへ湯治にやってきたときのこと。道で小ガラスに出会った。カラスは恐れもせず、ヘッセは半歩の距離まで近づいた。カラスはヘッセをじろじろ見た。

 「私は驚いた。そのカラスは人間との付き合いに慣れていた。人は彼と話をすることができた。彼を知っている人が数人通りがかって、

 『やあ、ヤコブ』とあいさつした。

 ある人が言った。

 『このカラスは好きに飛び回って、家の窓から部屋に飛び込み、食べ物をつついたり、そこらにある編み物をぼろぼろにむしったりする。』

 それから私はヤコブに毎日のように出会ってあいさつし、話をした。あるとき、妻と歩いていると、ヤコブは妻の履いている靴の上から靴下がちらちら見えるのをおもしろがって熱心につついた。

 私はたびたび彼を腕や肩にとまらせた。彼は私のオーバーや襟の中や、頬や首筋をつつき、帽子の縁を引っ張った。」

 ヤコブはいつも群れに属さず、ひとりぼっちだった。彼は気に入れば人間のために道化役をし、綱渡りをした。そして人間を小バカにし、人間から感心されても満足しなかった。

 「私は彼と二人だけでいるとき、少し話をすることができた。少年時代、青年時代に、うちのオウムと幾年も親しくまじわって覚えた鳥の言葉で、のどを鳴らし旋律的な音をひびかせると、彼は頭をそらせて喜んで聞き、彼なりにいろいろ考え、不意に彼の中にいるいたずら者と小悪魔が表面に現れて、私の頭に飛び乗り、キツツキのように私の首や口をこつこつたたく。

 彼は人間の群れの中で自分が唯一の選良であることをよく知っていた。」

 ヘッセは想像した。彼は幼い頃、傷つくか巣から落ちるかして、人間に見つけられ育てられたのだろうと。

 そしてまた別な想像をした。

 ヤコブは天才であって、野育ちの群れのカラスたちが知らないような行為と成功と名誉を夢見ていたために、群れを離れ、はぐれものになり孤独者になった。そして人間に出会い、近づき、仲間になり、道化師として役者として、神童として割り込み、群衆にかわいがられるようになった。

 しかしヤコブの未来を考えたとき、無残な最期が待っているのではないかと思う。

 そして一つの話を思い出す。

 一年ごとに王様を選んだり、くじで決めたりした原始時代、美しいが名もなく、貧しい、奴隷であるかもしれない青年が、突然豪華な衣装を着せられ、王様の位につけられた。彼は宮殿に迎えられ、美しい侍女にかしずかれ、豪華な食事を楽しみ、権力、富が日常のものになった。しかし一年たつと、彼はしばられ、処刑場に引かれていった。

 「ヤコブを観察するごとに、私はよく、おとぎ話のように美しくて死ぬほど陶酔的な、この話を思い出さずにはいられなかった。」