雪を捨てる

 秀武さんの田んぼに我が家の雪を放(ほ)らせてもらうことにして、道の際にできている雪の障壁に通路を開け、田んぼのなかに円く雪を放る場所をつくった。秀武さんに無断では具合が悪い。声をかけておいたほうがいいだろうと思い、電話をした。
 「田んぼに雪を置かせてもらっていいですか」
 「どうぞ、いいですよ。この雪では捨てるところないですからね」
 奥さんが気持ちよく応えてくださった。
 「雪を捨てる」という言い方と、「雪を置く」という言い方と、「雪を放る」という言い方と、この三つ、微妙な違いがある。行為そのものは、雪を持っていく場所がないから、田んぼの中へ持っていくということで、何のために持っていくのかというと無用なものだからで、実際には捨てるということである。
 市役所からの無線放送で、「水路に雪を捨てないでください」としきりに言っている。捨てた雪が水路につまって、水があふれ、道路が夜中にスケートリンクのように凍りついたり、あふれた水が家の敷地内に流れ込んでくるということが起こっているらしい。
 「雪を捨てる」という言い方が一般的だ。ぼくは「捨てる」という言い方にちょっとためらいを感じる。「捨てる」と言うと、なんだかゴミのような感じに聞こえる。それで「秀さんの田んぼに雪を置かせて」と言ったのだが、そう言ってから、「置く」と言うと、その場所に雪を移動させたというニュアンスになるなあ、実質は「捨てる」ことだしなあと思いもした。「放る=ほる、ほうる」という言葉、「雪をほる」ならどうだろう。スコップで雪をすくって「放る」。「放り投げる」「放り上げる」「放りだす」の「放る」は、手から放すこと。「放る(ほる)」は大阪では一般的に「捨てる」の意味で使われている。
 「そんなとこへ、ゴミほったらあかんよ」
 これは「そんなところへ、ゴミを捨ててはいけないよ」である。
 「ほる」は、なんとなく「ぽいと捨てる」ような語感がある。体の動きが「ほる」の中に入っている。「ボールをほる」は、「ボールを投げる」ということで、手の動きである。「ゴミをほる」は、手でゴミを投げ捨てるようなニュアンスだ。
 「ゴミを捨てる」と「ゴミをほる」とでは、どう違うだろう。「捨てる」は、この物は無用だからと、それとの関係をびしっと断絶させるようなきっぱりした感じがある。それに対して「ほる」は、びしっとした感じがなく、まろやかな感じだ。
 「どこへ雪を捨てようかなあ」
 「どこへ雪をほろうかなあ」
 この二つを比べたら、大阪出身のぼくには「ほる」のほうが柔らかく感じる。確かにこの大雪は迷惑千万で、死者やけが人もたくさん出ている。ぼくと家内は、今日も雪を雪かき用スコップですくって一輪車と子ども用のスノーボートに乗せ、何十回と田んぼに運んだ。工房の軒下近くは屋根からの落雪で1メートル近くある。通路を開くだけでへとへと、埋まっていた軽自動車をやっと掘りだした。
 お向かいのみよ子さんが車を出し入れするのに苦労していた。道路からの入り口が雪で狭められ、地面に積もってかたまった雪が、何度も何度もやり直し運転を強いる。入り口を広げてほしいというみよ子さんの気持ちが読み取れたから、安心できる状態にしてあげた。
 大雪はやっかいものだ。それでも、「雪を捨てに行く」という言葉より「雪を置きに行く」という言葉を使ってしまう。
 ソチオリンピックがたけなわだ。大回転、ジャンプ、大滑降、ノルディック、選手たちは雪の峻険に挑みつづけている。雪と氷は新たなヒーローを誕生させている