狐の足跡






新雪はフワフワと軽く、気温が低くなればなるほど、パウダースノー、すなわち乾燥した粉雪になり、風が吹くと雪煙を上げて流れていく。
山の上からパウダーの深雪をスキーで滑ると、滑り降りていく背後に雪煙が舞い上がり、転倒すれば雪に中に埋まってしまって一瞬何もかも見えなくなる。
晴れた日、雪上に生き物の足跡が残っているのを観察するのもおもしろい。
山ではウサギの足跡が多い。
これは一点と横並びの二点を繰り返す、三角形を形作る三つの点の連続になっている。
我が家の近くには、猫と犬の足跡に、小鳥やカラスの足跡が多い。
狐の足跡は、耕作放棄地になっている近くの草藪の周辺に沢山あった。
犬と狐の足跡を、どう識別するか。
専門的な知識はなかったが、犬の場合は飼い主がリードでつないでいるから、数歩離れたところに人間の足跡もあるから分かる。
狐の足跡は、野道から田んぼの中に入っていって、ただそれだけが点々と続いている。
狐の姿を目撃することもある。
隣の空き家の庭に、二、三匹子猫の遊ぶ姿があり、そこに子狐の姿があるのを見たのは、正月に帰省していた息子の嫁だった。
狐と猫が一緒になるなんて考えられないと思ったから、それは目の錯覚でしょうと言ったら、
いや、耳がとんがっていたと言う。
そこで窓からあちこち眺めていたら、南のタマネギ畑を、耳のとんがった、鼻の突き出た子狐が東に向って小走りに行くのが見えた。
どう見ても猫ではない。
尾っぽもふさふさと長い。
それじゃあ、やはり子猫と子狐が一緒に遊んでいたのかな。
東に向うと、そこが耕作放棄地の狐の巣がある辺り。
雪の上に鳥の羽が数枚落ちていた。
この草原は、秋にはキジが繁殖していた。
「キジも鳴かずば撃たれまい」ということわざがあるが、
ススキの生い茂るそのなかから、ときどき思い出したように、ケーンと甲高い声が響いて、
そこに巣があるか、ひそんでいるかが分かってしまう。
たぶんそのキジが狐の餌食になったんだろう。
先日、狐の足跡を見ていて、それが規則正しい破線になっているのに気づいた。
‥‥‥と、続いていく。
犬の足跡はそうはならない。前足と後ろ足の、雪の上に残した跡は別々のところで、きれいな破線にならない。
小学生のころ、南洋一郎の「緑の金字塔」という小説を雑誌「少年クラブ」で愛度していて、そこにアマゾンの断崖を馬で進むシーンがあった。
馬は前足を岩の上に置いて慎重に確かめ確かめ進んでいく。
後ろ足は、前足の置いた同じ岩に置くから、前足さえ安全に置けば大丈夫であるということが書いてあった。
だからカモシカも、オオカミも、危険な断崖を走っていけるのだと理解した。
その記憶がよみがえり、狐も前足を置いたところに、後ろ足も置くのだろうと推測すると、そのきれいな点線のわけが分かるように思った。
野生の動物と、長い歴史を飼育されてきた動物の違いが、足跡にも現れているのだろうか。
奈良の御所にいたとき、『運河』の俳句会に参加していた。
主宰の茨木和夫さんが来られた時、ぼくの次の句を茨木さんが特選に取ってくださった。


    新雪に破線刻みて狐来る


この句は、冬の安曇野のリンゴ園で作ったものだったが、その時は「破線」の真実をよくよく見てはいなかった。
この冬、狐の足跡をしげしげと観察してみて、あの時「破線」と詠んだが、規則正しい「点線」が一本線になっているということでは全くそのとおりだった。