「〜かな」言葉が気になる

 

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 この頃、よく耳につき、気になる言葉がある。

 それを僕は、「かな言葉」と言っている。

 今朝もテレビで、医師が言っていた。成人して教職についたが、ひとつのことを集中して続けることができないで、行き詰まっている人がいた。それは一種の発達障害であることが診断で判明した。

 「その人が子どもの頃に、親が気づいてあげることがいいかな、と思います。」

 発達障害であると気づかず、親は時には叱ったり、説教したりしてきたのだろう。大人になってから判明した。その時の説明で医師はこの表現を使った。

 「いいかな」ではなく、「いい」と明確になぜ言わない。「いいかな」と言うと、言いたいことをあいまいにしてしまう。医師が言いたいのは医師としての意見表明だから、自己の主観であることは自明だから、「あいまい表現」をしなくてもいい。そこに「あいまな、ぼかし表現をなぜくっつけるのか。そうするほうが、柔らかく聞こえるからか断定を避けるためか。ここに「かな」は要らない。

 「子どもの頃に、親が気づいてあげることがいい、と思います。」

 

 自分の気持ちを述べるときに、よくこの「あいまい表現」を耳にする。

 「さびしいかな、と思います。」

 「これからも続けようかな、と思います。」

 「政府に責任があるかな、と思います。」

 「こういうことは、やめてほしいかなと思います。」

 なぜここに「かな」を入れる必要がある?

 はっきり意見や感想を言う、そうして議論を活発にする、そういう社会にしていきたい。このような「ボカし」表言が流行するのは、なぜか。