緒方貞子さんが逝った。92歳。
彼女が国連難民高等弁務官として難民救済にたずさわることになったのは1991年、クルド人難民救助に現地に飛び、それから2000年まで世界の難民の救援の指揮を取った。クルド難民、その数200万人。
ポルポトの虐殺を逃れるカンボジア難民、軍事政権の弾圧によるミャンマー難民、イラン、サラエボ、ボスニア、ソマリア、ルワンダ、チモール、中南米、アフガニスタン、いたるところで紛争が起こり、大量の難民がアリのように大地をはって安住の地を求めた。緒方さんは、人間の尊厳を全うするために、現場にたち、難民に触れ、あらゆる手を尽くした稀有の行動者だった。
犬飼道子さん(1921年〜2017年)と 緒方貞子さん(1927年〜2019年)、
二人の祖は犬飼毅元首相、彼は1932年5月15日、軍の凶弾に倒れた。5.15事件。
緒方さんは18歳の時、終戦を迎えた。「日本はどうして戦争をしたのか」、強い思いが国際政治と国際関係論の研究へと繋がっていった。アメリカのジョージタウン大学大学院で博士号を取得したとき、論文のテーマは「満州事変」だった。
「私たちの世代にとってあの戦争は愚かすぎた。日本は自己を破滅に導くような膨張政策をなぜ取ったのか、その理由を探りたかった。」
そして犬飼道子さんも地を這うように難民の大地を生き、ルポルタージュを書いた。二人は同志だったのだ。
「私は悲願と名付けてもいい望みに駆られた。人と人を、人と生を、人と大地を、人と食を、人と職を、引き裂き分裂させ、難民を飢餓民ににする根本の悪に挑まねばならない。」
二人はカトリック信者であった。犬飼道子の悲願を支えたのはキリストの教えだった。
「キリストは和解のために来られたのだ。生と人との和解、人と人との和解、人と万物との和解のために。
目標はただひとつ。
地球を、人間の唯一の大地を、ほんの少しでも、人間の住むに足る、今より安全な善いものにして、来たるべき世代に引き継ぎ、人間社会を今よりほんの少しでも人間らしい、万人のための社会にする、共有のこの大地を死の脅威の場ではなく、万人の生存のための場とする。」
そして二人は自分の体、自分の人生をその悲願に捧げた。