人類は進化しているか

 

 

 ETV特集で、「戦火の中のHAIKU」を放送していた。外国でも俳句熱があり、それがロシアやウクライナにも広がっていた。このロシアによる侵略戦争のなかでも、俳句を作っている人がいることに驚く。日本語では5・7・5音を元にする俳句、海外ではそれを自国の言語でどのように表現するのか分からないが、日本語に訳された外国の俳句から、ぼくは反戦、非戦、抵抗のかすかな思い、哀しみをかぎとった。言葉というもの、そこにこもる人間の心は、海を越えて、時を超えて伝わる。

 大岡信が以前、「言葉の力」について書いていた。

 メソポタミア、五千年も時をさかのぼる。粘土板に彫り刻まれた楔形文字が発見された。

 その文字が解読されるまで1世紀がかかり、古代人の思想、感情が立ち現れてきた。

 言葉はタイムマシーンだ。長い時間を一瞬に飛び越えて、われわれの心に飛び込んでくる。古代人の心が、われわれの心に会いに来たのだ。人間最大の所有物、言葉、それはタイムマシーンになる。

 人類文明は驚くべき発達を遂げたが、人間が自己を振り返る時、人間というもののイメージはなんと昔から変わらないことよ。

 古代の詩歌のなかには、局面においてみられる発達せざる方の人間性の鮮やかな証言が多くあって、それらを読むと、おごりたかぶった文明社会の構成者であるわれわれは、炎天に驟雨を浴びるような経験をすることになる。

 日本においても、記紀歌謡や万葉集の歌が、強くわれわれに訴えてくるのはなぜか。

 メソポタミアの人々は、日常生活のささやかな喜び、悲しみ、怒り、絶望を文字にした。実にささやかな表現だった。それが時代を超えて心に響く。

 私たちは、いちばん大事なことをどう表現するかという要求、誘惑をもっている。けれども、私たちが採っている最上級の表現というものは、皮肉なことに、たいてい出来合いのもので、概念的で、通念によって汚され、ひからびている。その例証は、政治家たちの用語のなかにいくらでも見出される。

  最も明瞭に、人の心に叩き込みたい思いを表現するには、出来合いの大袈裟な表現とは正反対の道を探さねばならない。

 中原中也は書いていた。

 

 「問題は紛糾してはいない。野望が紛糾しているだけだ。」

 

 さてさて、大岡さん、今の世界、さっぱり訳がわからない。なぜにこんなことが起きているのか。人類はとてもとても進歩しているとは思えない。

 イラク北部、クルド居住区のシャニダール遺跡で発見された旧人ネアンデルタール人の骨の中には、障がいをもっていたと思われる子どもがいて、骨の周りに八種類の化石化した花粉が発見された。遺体を花で飾って葬った彼らは、弱者を助ける人間性豊かな人類であったのだろうと言われている。

  ネアンデルタールは滅び、クロマニヨン人が栄え、だが現生人類は、平然とミサイルを撃ち、人も 動物も殺し、自然を破壊し続けている。

 やがて地球は滅びるだろう。