悔恨、慙愧、自責 1



人間には、過去を振り返って、自らのおかした過ちを深く悔い、自分をうちたたく思いに苦しむことがある。
それが人の命にかかわること、人の人生を狂わせること、精神を傷つけることであったときは、ぎりぎりと心を切り刻みさいなむ悔恨の念を一生背負うことになる。
秋葉原の事件を犯した青年は、今そのルツボにいることが、最近の裁判のなかで当事者の発言からうかがえた。


戦後、肉親や教え子、恋人を戦地に送り出した人たちの心を深くさいなんだものは、
積極的に人を送り出したという自責の念だった。



    戦に死なせし人の 心のこる  穂高の見やるところ 恋ひ行く
                                   真下清子

 戦争が終わったとき、作者は22歳前後であった。戦争に死なせてしまった人、その人の心が残っている穂高の山を見えるところへ行って、恋しい人を思いやるその心には悔恨の気持ちも悲しみもある。その人は登山をしていたのだろうか。


    いのち死ねと いづこの母が希(ねが)はむや かつてのわれは 死ねと送りき 
                                   高橋敏子

 作者56歳の作である。死ねと願う母はどこにいる。かつての私は、死ねと送り出したのだ。軍国の母は、「生きて還ってきて」とは言えなかった。
死ぬなと心で思っていても、国を守るためには戦って死ねと言わねばならなかった。とりかえしのつかない行為である。
母は、この自分を許すことができない。


    半強制的に 海外へ送りし教へ子の 多くは死して われ生きのこる
                                   竹田与志雄
    
 教え子を満蒙開拓青少年義勇軍か戦場に送り出した教師の歌である。自分のすすめで、教え子は死に、自分は死ななかった。


 高知県の教師、竹本源治は詩に詠んだ。


        戦死せる教え子よ

                竹本源治

    逝いて還らぬ教え子よ
    私の手は血まみれだ!
    君をくびったその綱の
    端を私はもっていた
    しかも人の子の師の名において
    鳴呼!「お互いにだまされていた」の言訳がなんでできよう
    慙愧、悔恨、懺悔を
    重ねても、それがなんの償いになろう
    今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
    涙をはらって君の墓標に誓う
    「繰り返さぬぞ絶対に!」


 日教組の「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンは、教え子を戦場へ送って戦争に協力してきたことへの痛烈な反省から、1951年、この詩のような血の叫びをもって生まれた。
 しかし、戦後の「教え子」を死なせたことにかかわった日本の教師達には良心の呵責はあっても、戦場で住民を殺害した侵略者を育てたことへの反省に欠けていたという批判がある。
さらに、戦後の戦争を知らない教師たちの歴史認識には、大きな認識不足、知識の空洞化がある。
 

戦後の作である次の歌は、民主主義教育を模索する当時の学校現場を詠っている。
教師自ら歴史を見つめ、未来をどうつくるべきか考える、その苦悶の営為なくして未来の教育は生まれない。
それは今どうなっているか。命令と罰の公権力の姿である。次の歌のようなことは許されていない。

本の学校での卒業式が近づいている。
今年もどこかの学校で、服従しないものへの強制と弾圧が起こるだろう。


    卒業式に君が代は歌ふべきか否か投票用紙をくばり来りぬ
                            清水房雄