先回りした服従

 「ドイツには「フォラウスアイレンダー・ゲホルザム」という言葉があります。忖度(そんたく)と同じように、訳すのは難しいですが、直訳すれば先回りした服従という意味です。なぜ、ホロコーストのような大量虐殺が起きたのかを説明する際によく使われます。」

 この文に引きこまれた。「先回りした服従、悲劇生む」というタイトルが付いている。筆者はヴィルヘルム・フォッセ、ドイツ人の政治学者だ。ドイツ人はなぜナチズムに狂信的に付いていったのか、第一次世界大戦で懲りているはずのドイツ国民が、なぜホロコーストに加担したのか、この疑問に筆者がどう答えるのだろう。興味深々で読んでいった。(今朝の朝日新聞「耕論」)。
 この疑問を、「日本人は」に置き換えて考える。天皇軍国主義侵略戦争に積極的に加担し、あるいはしようこと無しに追随していった日本人の生き方は、どこから出てきたのかと。これまでは、強力な権力支配が生まれると、人は自分の意志を封じ込め、体制に同調して身の安全を図るからだと考えてきた。
 フォッセはドイツ人についてこう続ける。

 「法律や社会のルールを守り、税金を納める。家庭では、よい息子、よい娘で、ほめられたい。周囲に波風を立てない、よい隣人で、異議を唱えようとしない態度が、結果として非人道的な悲劇を生む土壌になったのです。」

 ドイツ人のきまじめさ、「こうあるべき」に忠実であろうとする理性、優等生的態度が、学校でも企業でも共同体でも、国家においても、効率的に業績を上げ、発展という成果を生む。フォッセはそのドイツ人気質と日本人気質を比べる。

 「日本とドイツは似ています。まじめで時間を守り、先回りして自主的に服従します。ドイツの戦後と日本の戦後もある時期までは非常に似た道をたどったと思います。ドイツ人は独裁の被害者として、新しい国の再建に全力をつくしました。保守政権が続き、ドイツ車が世界を走るようになり、1954年にはサッカーのワールドカップで西ドイツが優勝しました。
 自信を取り戻しつつあったドイツ人に大きく影響したのが、68年から世界を覆った若者の反乱でした。きっかけは米国でのベトナム反戦運動です。」

 これは日本でも同じだった。彼が指摘する通り、日米安保体制に対する反対運動や大学制度を見直す運動、ベトナム戦争反対運動、公害反対運動と環境を守る市民運動が連綿と続いてきた。
 そこまでの歩みは両者はよく似ている。違いはこの後から出てきたと彼は言う。

 「ドイツでは若者たちが、教授や親の世代が戦争中に何をしていたのかを問いただす運動に発展したのが大きな特徴でした。
 『ガウンの下の千年のホコリ』。第三帝国を『千年王国』と称したナチスとの関係が、大学教授の着るガウンの下に隠れていないか。過去を白日の下にさらそうという動きが、社会全体に大きく影響しました。
 民主的だったワイマール体制がヒトラーの台頭を許してしまったのは、制度の欠陥ではなく、民主的な思考と行動をする市民が足りなかったとの理解が広まったのです。それまで、先回りして服従するのがよい市民だとされてきた考えから、疑問を公的に発する成熟した市民になることが重要だという考えが共有され、意識が変わったのです。」

 第三帝国ナチスの帝国、ちなみに第一帝国は神聖ローマ帝国、第二帝国は独仏戦争後のホーエンツォレルン家の君臨した帝国のこと。
 第三帝国に追随し、協力し、支援した者たちが、ナチス崩壊後ものうのうと民主主義者然として指導的立場に立っている。その『ガウンの下の千年のホコリ』を叩きだせ、あぶりだせ、引っ張り出せ、そういう若者たちの社会的な動きがドイツにはあったという。ほーっと、ぼくはため息をついた。そういうことがあったのか。だとすればドイツの若者たちはそれを具体的にどういうやり方でやったのだろう。
 日本にはそういう社会的運動は存在しなかった。ではなぜ日本では生まれなかったのだろう。フォッセが続けている。

 「日本はそうなっていません。この意識は国の発展も左右するでしょう。
 工場で高品質の製品を大量につくるには、波風を立てず、仲間や上司の期待に応えることが役立ちます。それは日本でもドイツでも証明されてきました。
 しかし、世界は新しい価値やそれまでになかったサービスや商品を生み出す大競争の時代に入っています。摩擦や対立を恐れず、多様な意見や価値を認め合う社会的な基盤は民主主義を存続させるだけでなく、経済的な競争の側面からも、求められていると思います。」

 集団や企業、社会の流れに追随して自己保身を図ろう。異議を唱えることを避けよう。右へならえ!
 かつてヤンキー教師と注目された男は政界に入り、文部科学省の副トップにまで昇進した。今問題の加計学園について、彼は内部告発を許さないと語る。その顔はもう昔の顔ではなかった。巨大な権力装置に組み込まれ、魂を失った男の顔だ。

 「民主的な思考と行動をする市民が足りなかった。先回りして服従するのがよい市民だとされてきた。疑問を公的に発する成熟した市民になることが重要だ。」

 ドイツではこの考えが共有され、意識が変わった。それでは日本は?
 労働組合も存在しない企業、労組があっても機能していない会社、学生自治会もなし。議論のない職場。議論の未成熟な議会。
 社会の成熟は果てしなく遠い。