銀河鉄道の夜


目に留まったのは、TVの一画面だった。
アメリカのモダンアートの絵画作品のそれは、街の風景であったが、雑踏の上に高架線があり、そこに駅があるのか電車が止まっている。下を歩いている人々は帰宅途中なんだろう。日は暮れている。電車の窓にはオレンジ色の明かりが灯り、電車の上に広がる空は深い濃紺だった。
見ていて、なんとなく懐かしく、それでいて寂しい思いがした。
明かりの灯った列車、ふっと「銀河鉄道」が頭に浮かんだ。
賑わいの中に孤独感が漂い、喧騒のなかに静寂がある。
夜の闇に移行する前の空は、黒味がかった濃紺になり、そこに星がまたたき始める。列車の上に広がる空は果てしない宇宙をイメージさせた。
わずか数秒間の映像だったけれども、その絵はぼくの心に賢治の『銀河鉄道の夜』を思い浮かばせた。
ジョバンニとカムパネルラの宇宙の旅。
それは死後の世界をたずねる旅だろうか。
私たちは、どこから来て、どこへ向かっているのだろう。
私たちは、なぜ生きているのだろう。


銀河鉄道の夜』のなかで、ジョバンニとカムパネルラはつねにつぶやいていた。
それは賢治のつぶやきだった。


「ぼくは、どこへも遊びに行くところがない。ぼくはみんなからまるで狐のように見えるんだ。」
ジョバンニは学校が終わると、アルバイトに出かけ、夕方六時まで働いていた。活版所で活字を拾う仕事だった。母は病気で寝ている。ジョバンニは母の看護もしなければならない。父は北の国へ行っていて帰ってこない。


星祭りの夜、ジョバンニは街のはずれの丘の上に天と地を結ぶ天気輪を見て草に倒れた。そして、幻想の旅が始まる。銀河鉄道の旅であった。
そこでジョバンニは友カムパネルラに会い、一緒に旅をする。


「ぼくはもう、遠くへ行ってしまいたい。みんなからはなれて、どこまでもどこまでも行ってしまいたい。それでももしもカムパネルラが、ぼくといっしょに来てくれたら、そして二人で、野原やさまざまの家をスケッチしながら、どこまでもどこまでも行くのなら、どんなにいいだろう。‥‥ぼくは、どんなに友だちがほしいだろう。ぼくはもう、カムパネルラがほんとうの友だちになって、決してうそをつかないなら、ぼくは命でもやってもいい。」
ジョバンニのいつも心に思っている友、カムパネルラ。いつも一緒に行こう。


銀河鉄道の旅で、二人は次々とかつてない出会いをする。
列車で出会った鳥捕りがいた。ジョバンニは気の毒でたまらなくなったのだった。
「‥‥もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい。もうこの人のほんとうの幸せになるのなら、自分があの光る天の川の河原に立って、百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。ほんとうにあなたのほしいものは一体なんですかときこうとして‥‥。」


女の子とその弟、青年の三人が現れた。氷山にぶつかって船が沈没してしまい、海に投げ出されていまこの列車に乗っているのだった。
「その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍りつく潮水や、烈しい寒さとたたかって、だれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはその人に、ほんとうに気の毒でそしてすまないような気がする。ぼくはその人のさいわいのために、どうしたらいいのだろう。」
ジョバンニはふさぎこんでしまう。
「なにがしあわせか、わからないのです。ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちに進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんな、ほんとうの幸福に近づくひとあしずつですから。」
燈台守がなぐさめた。


女の子が父親から聞いたという一匹のさそりの話をした。それは他の生き物を食べて生きてきたさそり自身の祈りだった。さそりはこう言った。
「わたしはいままでいくつもの、ものの命をとったかわからない。そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生懸命逃げた。‥‥どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう。そうしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。わたしの心をごらんください。こんなにむなしく命をすてずにどうかこの償いには、まことのみんなの幸せのために私のからだをおつかいください。」
そしてさそりは真っ赤に燃えて星になった。


旅の途中で、姉と弟は降りなければならなくなった。そこは天上へ行くところ、神の示すところだった。
「天上へ行かなくったっていいじゃないか。ぼくたちここで、天上よりももっといいとこをこさえなきゃあいけないって、ぼくの先生が言ったよ‥‥。」
とジョバニは言う。


ジョバンニは、銀河鉄道の旅の中でも、孤独を感じていた。
「カムパネルラ、またぼくたち二人きりになったねえ。どこまでもどこまでも一緒に行こう。ぼくはもう、あのさそりのようにほんとうにみんなの幸せのためならぼくの体なんか百ぺん焼いてもかまわない。‥‥けれども、ほんとうの幸いはいったいなんだろう。」
「ぼく、もうあんな大きなやみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのを幸いをさがしにいく。どこまでもどこまでもぼくたち一緒に進んでいこう。」
黒い大きな帽子をかぶった青白い顔のやせた男が、現れる。男の声はチェロの音のようだった。男が言う話は、ほんとうの学問の話だった。
ジョバンニは思う。
「きっとぼくはぼくのために、ぼくのお母さんのために、カムパネルラのために、みんなのために、ほんとうのほんとうの幸福をさがすぞ。」


ほんとうのしあわせとは、さいわいとは、とジョバンニは考え続けた。