東日本大震災から生まれてくる相互扶助社会

 近づく碌山忌



仮設住宅の建設が困難を極めている。あまりに多い被災者の数、役所の建設課の職員が仮設住宅建設を建てるために動いているが、建てる土地が見つからない。
行政の方針では、建設場所は津波が来ないように海から離れて、長屋式平屋の集合住宅を建てる。
その方針に対して、海から離れたくないと漁民が発言している。
しかし市としては海岸近くに建てるわけには行かない。惨憺たる被災地の中を歩きながら、職員は条件にあった場所を探し回る。
海からの高さと、集合住宅を建てる広さとで条件に合うところ、そんな場所は少ない。
職員はがれきの中に、一軒の生き残った家を見つけた。行ってみると、なかに数家族が一緒に暮らしていた。
家が奇跡的に残ったその家族のところに避難してきた別家族が一緒に住み、助け合い、わかちあい、励ましあって生きている。
人はこのような瀬戸際の難局に遭遇すると、おのずと寄り集まって、心の垣根を取り去って助け合い、共に生きのびようとする。
役所の職員はそこに通い合うものを敏感にキャッチした。
その現場の感動を深く心に刻み込んだ職員は、その後転換するのだ。
仮設住宅建設の方法を変えようと彼は考える。明らかに彼のなかで変化が起きていることが表情から分かった。
多くの戸数を建てる敷地を見つけるのは難しい。それなら数家族が住める住宅を小さな敷地に建てていくようにしたらどうか。あの一軒の被災を免れた家に暮らしていた人たちのような相互扶助が、むしろその小規模な形から生まれるかもしれない、と彼は考えたのだ。
そうして土地探しが変わり、土地が見つかっていく。
この職員の姿は印象的だった。示唆に富む映像であった。


組織の人間は、上からの方針に従わなければならないとして頑なに枠を押し通し、型どおりの行動をとる。
だから、遭遇する現場がいろいろ示唆しているのに、そこから何も学ぶことができない。非常時にはそれでは道は開けない。
しかし、この職員は「型どおり」から、現場の本質に合わそうとする方向にかじをきったのだった。


土地が見つかり、そこに少数の仮設住宅を建てることになる。
そこで次の段階、どんな仮設住宅にするのかということになるのだが、ここはやはり従来どおりにすることになるだろうか。
しかし、そこでもあの現場の遭遇からくる発想のひらめきを大切にしてほしい。
仮設住宅は、こういうものという一つの型があり、部屋数、間取り、構造など決められている。
その一軒一軒の小さな家に、小さな風呂を設置し、台所をつくり、核家族が住めるようにする。
今はそれで進められている。できるだけたくさんの住宅を、できるかぎり早く建てなければならない。
ところが、あの一軒家で見たことをヒントにして考えれば、住宅の構造にも及ぶことになる。
たとえば、風呂は共同風呂にして厨房も共同にしていい。
プライベート空間の部屋をどんどん作る。その中に共同スペースを作る。「私」の空間と、「公」の空間である。
共同スペースでは、人と人とのつながりを深める。そこで会話し、一緒に食べ、交流する。
このプランは、市民、被災者のアイデアが取り入れられなければならないと思う。資金を有効に活かし、できるだけたくさん部屋を作る。足りなさがあっても、仲良く暮らせる住居群づくりである。
仮設が終わるまで、今の状況ではかなりの年数がかかりそうだ。「仮」は「仮」ではなくなる。


現代社会は、大家族の崩壊と核家族化の進行にともない、とうとう無縁社会とまで言われるような状態に来てしまった。
ところがこういう災害に遭遇すると、人と人のつながりが生まれ、相互扶助の共同体が生まれる。阪神大震災でもそうだった。
いまも、東日本の災害でつながりと助け合いの関係が生まれている。
柄谷行人が『災害ユートピア』(レベッカ・ソルニット 亜紀書房)の書評で、次のようなことを書いたことがあった。
「災害は、自然災害だけでなく戦争や経済危機などもふくめ、いずれの場合も新たな社会や生き方を開示する。人びとは自然状態では互いに敵対するというホッブズの政治哲学が今も支配的であるが、それは国家的秩序を正当化するための理論にすぎない。災害後の『ユートピア』が示すのは、その逆である。国家による秩序がある間他人を恐れて暮らしていた人たちは、秩序がなくなったとたん、たちまち別な自生的な“秩序”を見出す。それは、他人とつながりたい、他人を助けたいという欲望がエゴイズムの欲望より深いという事実を開示する。むろん、一時的に見出される『災害ユートピア』を永続するにはどうすればよいかという問題は残る。しかし、まず人間性についての通念を見直すことが大切である。」
大災害が起きると、無秩序になり、暴動、略奪、レイプなどが生じるという通念があるが、実際には災害の後、被害者間と外の世界との関係で、すぐに相互扶助的な共同体が形成される、それは人間がもともと持っているものなのだ。


福島の被災地は、放射能の影響が簡単に収まるとは思えない。津波の被災地も、インフラが復旧し、土地の塩害がなくなるまでどれだけの年月がかかるか分からない。
「災害ユートピア」から、あらたな未来性が誕生してくることが予想される。被災地だけでなく、日本全体が文明的な大揺れを体験し、新しい相互扶助社会の芽生えが始まるだろう。