アマさんを偲ぶ <3>

 

 2013年10月22日のこのブログに、大阪市立加美中学校41期生同窓会に招かれたときのことを書いている。「奇跡の同窓会」という記事。その記事の最後に、矢田中学卒業生のアマさんの元気なときを刻んでいた。自分の記事だが、なつかしい。こんな記事だった。

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 「我が身にまとっているものをかなぐり脱ぎ捨てて、裸の心になる。それが同窓会の良さでもある。
 久しぶりに出会った同級生と、話に夢中になっているみんなの笑顔がよかった。仕事で神経をすり減らし、子育てで疲れ、ストレス多い生活の人たちも、この場ではそれを放して、昔の友だちと気楽に別天地をつくる、それが同窓会だ。
 マキちゃんたち6人の発起人はそういう同窓会をやりとげた。名簿、住所録、何もかもゼロ、ゼロから出発して、口コミだけでこれだけの同窓生を集めたマキちゃんたち世話役、彼らは、同窓会の裏方に徹していた。
 同窓会は人を解放するが、おしゃべりの輪のなかに入っていきにくい人や、重い現実があって、心が硬くなっている人もいるだろう。もっと時間があれば、彼らの心の扉をとんとんたたいてみたかったと思う。
 同窓会が終わり、みんなと別れてからぼくは地下鉄に乗って、マート(アマさん)の家に向かった。
 マートの家は、大阪市の東南地区、マンション6階にある。
 マートの家に入ると、ミノル君とマサコさんが来ていた。二人は同級生結婚、マートは矢田中の卒業生。ミノル君とマサコさんはマートより一年下で、矢田中から分かれて新設された矢田南中学に移り、矢田南中学卒業生になった。マートの奥さんのエミちゃんとマサコさんが、鍋料理の準備をしてくれていた。ミノル君以外は3人とも現職の小学校教員だ。ここでもよくおしゃべりをした。
 話を聞いていて、学校現場がますます厳しくなっていることを実感する。教育行政は、現場の教師たちの置かれている困難さを認識せず、トップダウンで教員人事を動かし、教師たちを生き生きと実践できない方向へと追い込んでいることに暗澹とした。
 マートは相変わらずよく勉強していた。マートは2冊の本を見せてくれた。
  「板倉聖宣セレクション いま、民主主義とは」(仮説社)
  「日本の戦争を終わらせた人びと」(中一夫 ほのぼの出版・仮説社)
 最近取り寄せたという。内容をぱらぱらと見てみて、これは読みたいとぼくも思った。
 現場の教師たちの実践が痩せていっているとしたら、その原因のひとつは上からの教育行政のしめつけのなかにもあり、同時にもう一方の教師の主体的な「創造と学び」がきわめて乏しくなっていることにも原因があるように思う。
 その日 、マートの家で泊めてもらった。
 翌日、マートとエミちゃんの出勤に合わせて一緒に出て、加美中同窓会に来れなかったマサルと会うために待ち合わせ場所に行った。地下鉄駅前の横断歩道を歩いていくとやってきた自転車の男が、「センセイ」と声をかけてきた。マサルだった。25年ぶりなのに、遠くからすぐに分かったと言う。そこからマサルの先輩になるシンジ君の家を向かう。歩きながらマサルはよく話した。中学時代はまともに話したことがなかった彼には、ガキ大将の片鱗はもう見られず、穏やかな男に成長していた。
 シンジは再婚して、奥さんと眼の見えないコーギー犬と暮らしていた。スーパーつっぱりだったシンジも、飲み屋の店をもち、その上に自分の家を自分で造って住んでいた。
 彼との話もおもしろく、人間の成長を考えさせられた。シンジの奥さんも一緒に入って2時間、人生論、社会論、教育論、話は変幻自在だった。
 信州へ帰るとき、シンジはおいしいパン屋のクロワッサンやチーズケーキなどを用意していて、ぼくに持たせてくれた。」