NHK短歌大会が信州・塩尻で開かれ、その様子を日曜日の今日、放送していた。
最優秀賞に選ばれた歌の一つに、次の歌があった。
作者は、地元の塩尻の人だった。
橋上の 駅の階段 おりてゆく
夕焼けの街に 帰る家あり
雨宮かず子
JRになるまでの国鉄の時代、地方の駅には国鉄のスタイルがあった。
ホームから陸橋を渡って改札のある駅舎につづく、
旅心をなでるような、なつかしい駅の姿。
今もそれはたくさん残っている。
列車を降りて、ホームから陸橋の階段を上る。
線路をまたぐ陸橋の上を歩いていくと、夕焼けが街を染めていた。
駅舎は線路の東側にあり、その向こうに街がある。
夕焼けの街は、我が家のある街。
帰ってきたよ、我が家へ。
ほっと安らぎの息がでる。
広い空を夕日が染める。
その広がりの下に、私を待つ家がある。
広大な宇宙から見れば、小さな米粒ほどの家、
だけど、わが心を癒し休める、かけがえのない一つの場所。
帰る家あり、
このことの尊さ。
このことの温かさ。
帰る家のあることを当たり前のようにして、深く考えることもない日常だが、
当たり前のなかにひそむその発見は、胸に迫る。
だれにも帰るところがある、それが人間の暮らしなんだ。
人間には帰るところが必ずある。
人間にはなくてはならないところなのだ。
子どもの頃は、父母が待つ家だった。
結婚して、妻や子が待つ家になる。
愛犬、愛猫が待つ家でもある。
家族がいなくても、我が家のなかのすべてが自分を待っている。
自由に休めるところ、
団欒のあるところ、
疲れや哀しみや悩みを、そっといやしてくれるところ。
「我が家」というものの重要さをかみしめたことがあった。
夕暮れ、家路を急ぐ人たちを見て、
あの人たちは、帰る家があるんだ、
そう思うと、寂寥感がこみあげた。
かつて、我が家を放したときのことだった。
派遣村に集まる人たちは、
帰る我が家のない悲哀のなかで生きているホームレスの人たち。
「我が家」のない人がいるということ、
その哀しみ、寂しさを放置している現代社会。
そのままにしておくわけにはいかない。
去年の夏、アラスカのシトカの海岸に、日本の唱歌「故郷」の歌声が響いたという記事を読んだ。
アラスカを撮り続けた写真家、故星野道夫を追悼するトーテムポールが立てられた13回忌の命日。
星野道夫をしのび、
その日のためにやってきた日本人が歌う「故郷」に、先住民も涙を流した。
「アラスカに長くいるほど、日本を思う道夫さんの気持ちは強くなっていました。」
と奥さんの直子さんが語った。
アラスカの大地と動物、植物を愛した星野、
そこが第二の故郷になっていたアラスカ。
そして日本の我が家、
星野の「我が家」は、しっかりと存在した。
星野の撮った美しい写真、
ホッキョクグマたちの我が家が、今奪われようとしている。