初ツバメ

 

 快晴で暖かい数日前、初ツバメを見た。朝の散歩で、満開の道祖神桜を見ての帰り、ツバメは僕の横で身をひるがえした。たったの一羽、周囲を見回しても他にツバメの姿はない。よくぞここまで来たなあ、大丈夫かなあ、夜はまだ氷点に近くなるのに、餌になる虫もまだ少ないのに、といささか案じられる。

  2008年4月、伊東静雄の詩「燕」についてこのブログに私は書いている。今日、もう一度「燕」の詩のページをここに書く。

 

     ☆    ☆    ☆

 

 伊東静雄は、1939年に「燕」という詩を作っている。そのころ日本は、日中戦争に突入し、次第に滅びの道を進みはじめていた。
 戦場に出て行った友人にあてて伊東は、初燕を見たときの感銘を手紙に書いて送っている。
 「汝、この国に至り着きし最初の燕!」
 この手紙の一文は、詩の中でも使われた。ツバメを見ながら、伊東は遠い戦地の友を思っている。



        燕

 門(かど)の外の ひかりまぶしき 高きところに 在りて 一羽の燕ぞ鳴く
 単調にして するどく かげりなく
 ああ いまこの国に 至り着きし 最初の燕ぞ 鳴く
 汝 遠くモルッカの ニュウギニヤの なほ遥かなる
 彼方の空より 来りしもの
 翼さだまらず 小足ふるひ
 汝がしき鳴くを 仰ぎきけば
 あはれ あはれ いく夜しのげる 夜の闇と
 羽うちたたきし 繁き海波を 物語らず
 わが門の ひかりまぶしき 高きところに 在りて
 そはただ 単調に するどく かげりなく
 ああ いまこの国に 至り着きし 最初の燕ぞ 鳴く



 日本に帰ってきたツバメたち、海を越える南の国からの旅路は、どれほどの困難があったことだろう。
 あの小さな体で、雨風を突きぬけ、荒波の夜の海を渡り、
そしていま、この安曇野にも戻ってきた。
 春の光を浴びて、ツバメはしきりに鳴いている。
 小足がふるえ、翼はまだ旅の疲れを残している。
 それでもツバメたちは、もう巣作りを始めているのだ。
 何度も何度も、この詩をぼくはくちずさむ。 

 

     ☆    ☆    ☆

 

 ロシアによるウクライナ侵略戦争は、ますます悲惨の限りを尽くしている。渡り鳥たちには国境はない。戦争も侵略も、支配も独占もない。無縁だ。

 人間だけの業苦が今も続いている。 

 

 桜、プラム、梅、スイセン、ツクシ、コブシ、スミレ、‥‥‥今、満開。