「初年兵 江木の死」

   

 「初年兵江木の死」という短編小説を、大正9年細田民樹が発表している。

   召集を受けて軍に入った江木は、激烈非道な演習によって命を絶った。軍隊とはどんなところなのか、その一端をこの小説でうかがうことができる。軍隊とはどんな組織なのか、作者の筆はそれを詳細に描く。敵は30分余りで攻めてくるという仮定のもとに演習が始まった。召集された初年兵たちは散兵壕をスコップで掘る。

 

 「‥‥風の死んだ、うだるような蒸し暑さで、太陽はじりじりと直射してくる。熱く焼けた赤土から放射する地熱は濃いかげろうを舞い上げる。作業ははかどらない。汗はぽたぽたと雨のように落ちる。樫のような分厚な板で抑えつけられるような息苦しさ、金属的な空虚な乾燥が眩惑に誘う。中隊長は軍刀のさやで、掘れた深さを測っている。江木の体から汗が出尽くした。苦しい呼吸は枯葉でもほうばるように、いがらっぽく、身体中の血液が一箇所に濃く集まるような気がした。体内の組織が乾ききってしまったのである。

 江木はもう土をすくう元気は無かった。けれど、仕事を辞めなかった。惰性で手が動いた。江木の眼前に真っ黒な大きな輪が湧き上がって、それから分かれていくつもの小さいのが自分の眼に前進してきた。昏倒の刹那が来たのであった。隣の兵の帽子や顔が真黄色に見えたかと思う間もなく、恐ろしい緑色に変わった。土地が高く盛り上がってきた。

 その瞬間であった。自分の身体が強い力でもぎとられるように引っ張られ、消えてしまったような気がした。江木は敵が来るという仮想を忘れていなかったので、銃をとると敵の方へ銃口を向けた。と、銃を持ったままずるずると壕の中へうずくまってしまった。

 向こうの方でもばたばたと兵たちが倒れていた。兵たちにはもう残された力はなかった。百度に近い太陽がじりじりと熱を送っている。

 兵たちは水筒の最後の一滴までたたきだして飲んだ。」

 

 苦難のための苦難がそこにあった。連隊長、副官、少佐たちは、散兵壕を一巡した。一巡がすむと、掩蔽壕(えんぺいごう)をまたスコップで土をすくって埋めてしまう作業になる。賽の河原の子どものように、兵たちは何も意識することなく、何の疑いもはさむことなく、命令されるままに自分たちの積んだ石や土を埋めていった。土を掘り始めてから埋めるまでの40分間の演習。

 江木のほか45人が死んだ。