連詩の体験が教えるもの

 

 

 13世紀に、マルコポーロはイタリアから中国まで旅をした。中国での滞在を含めると、なんとまあ、24年間の旅だった。自分の脚と、ラクダだけが移動手段。情報もない、知らないところ、謎の道、異なる民族、異文化、異自然の世界を経て‥‥、それは現代では考えられない大冒険だった。マルコポーロは、祖国に帰ってから、その旅を東方見聞録に著わした。

 

 21世紀の現代、このような事実を知識として共有しているにもかかわらず、この今も、違いを認めず、オリジナルを憎み、攻撃する者たちがいる。

 

 1987年に、ベルリン芸術祭世界文化祭が開かれたとき、ドイツの詩人と日本の詩人それぞれ2名ずつ参加して、詩の共同制作が行われた。「ヴァンゼー湖畔の連詩」と呼ばれたその催しについて、参加者の一人大岡信が、こう書いている。

 「互いに未知の外国人同士、同じ建物の同じテーブルの上で、毎日共同で詩を作っていく作業を通じ、急速に親しみを増し、一つの笑い声、一つの沈黙が意味するものをより深く感じとるすべを学んだ。各人の心の内側から泡立ち昇ってくる言葉の発生現場に、立ち会うという稀な体験の共有だった。とりわけ重要だったのは、私たちが相互の異質な現実認識や表現技術を、その形成過程そのものにおいて目撃し、それに対して応答するという経験を繰り返し得たことだった。

 互いの異質性を確認し、正当な敬意を払い、異質性を超えて対話へと進むこと以上に正しい相互理解への道はない。

 現代世界は、異なる民族、異なる宗教、異なる文化、異なる発展段階にある諸文明のあいだで、深刻な無理解、誤解、争奪が激化している世界である。この差異を解消する手段がない以上、少なくとも互いに異質である点を確認し合って、互いに敬意をもち、さらに愛するところまでいく努力をするのが、地上に生きるものの義務と言ってもいいだろう。」