日本の過去が教える

 

 

 

 日本の中国侵略のときの歴史と、今のロシアのウクライナ侵略とを比べてみる。

 日本は満州を攻略した。その満州事変の中心人物は、陸軍中将の石原莞爾

 国際連盟は、「日本の主張する満州事変は自衛の戦争ではなく、侵略戦争である」と批判した。しかし日本政府は全面撤退を決断しなかった。

 石原は満州事変を引き起こしながら、日中戦争拡大阻止を叫び、朝鮮、満州の独立を軸とした「東亜連盟」の構想を唱え、東条政権を批判し、「世界最終戦争論」を発表した。それは究極の決戦戦争で、それによって世界は統一され、永久平和が訪れるという。「世界最終戦争」には、一発で何万人もの人を殺せる破壊兵器が開発される。日本はその戦争に備えて、アジア諸国と、「東亜連盟」を結成し、アメリカに匹敵する生産力をつけなければならない、これが石原参謀の論だった。

 

 田原総一郎は、「日本の戦争」(小学館)において、

 「もし、この時、日本政府に全面撤退の決断ができていれば、日中戦争、太平洋戦争は起きていなかったはずである。日本政府はそれができなかった。日本は国際連盟を脱退し、米英との戦争に踏み込んでいった。」

と書いている。

 

 石原は戦後、戦犯を免れ、ヒロシマナガサキの被災地を訪れて、「戦争放棄」の論を発表した。