「モスクワのこだま」

 

 

 ロシアの独立系放送局「モスクワのこだま」で政治コメンテーターを務めてきたエカテリーナ・シュリマンの講演から。

 彼女は活動停止に追い込まれた後も、苦難の中に生きる人々に発信を続けている。

                        (岩波書店「世界」臨時増刊号)

 

 

 「いま私たちは、少なくとも21世紀の大部分をかけて取り組んでいかなくてはならない大きな問題に直面しています。未来の歴史家はおそらく、ソ連の崩壊から現在までの三十年間を、今起きていること(ウクライナ侵攻)に向かう道として分析するようになるでしょう。

 「責任と罪」、私たちはなぜこのことに気づけなかったのかという後悔の声、「この状況を生み出してしまった人すべてに罪がある」という罪悪感の声がたいへん多く上がっています。

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 私たちは無論、それぞれ責任を背負ってこの社会で生きています。けれどもいま起きていることの罪をこの社会で生きる「すべての人」にまで広げてしまえば、ほんとうに罪のあった人々への追及をあきらめることにもつながりかねません。「私たちみんなが悪かった、みんなに罪がある」というのは、道徳的には理解のできる表明です。けれども基本的なことは、権限の大きい人ほど責任は重く、権限の小さい人ほど責任は軽いのです。

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 「私には罪がある」と認識してもいいでしょう。けれどまず自分がいかなる「責任」を背負っているかを明確に認識することが、何もできない状態から脱するための第一歩です。常に自分の「責任」を意識して、けっしてあきらめないでください。

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 強権社会では、プロパガンダは仮の「多数派」を装い、支持されているかのように演じます。荒唐無稽な主張でも、それが社会に浸透しているかのように見せかけます。すると不安でよりどころがない人々が沈黙しているうちに、偽りの「多数派」をうのみにした主張をする人が出てきて、強権国家に同調していくのです。

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 「沈黙のらせん」という法則があります。マスメディアが事実とは異なる統計を示し続けると、そこで示された「多数派」の声は次第に大きくなり、「少数派」は沈黙を余儀なくされ、らせんが膨張し、「多数派」ばかりになっていくという法則です。このらせんへの導入を徹底的にやろうとするのがプロパガンダです。

 今がどんなに絶望的であっても、私たちがこれまでに読んだものが、世界の様々な知識すべてが、無駄だったとは決して思わないでください。いかに閉ざされたように見えていても、世界はつながっています。世界に開かれた学問が本領を発揮する時が来ます。

 学問を精神の基盤とする人々は、もっとも強い人々です。テレビから流れる甘言や「多数派」の偽装に惑わされないでください。」