ある現場に行政上の課題が出てきたら、まず現場へ視察に行くだろう。当然のことだ。現場を観ないで政策を決めることはできないはずだ。
しかし「私は現場主義です」と選挙の時に主張していた人が、当選して庁舎に入ると、現場を観ないで政策を決めている。
それでは格好がつかないので、一応現場に行き車から降りて、現場を見、そして庁舎に帰ってきたとして、
では、何を観たか。
そこに流れる過去から未来への時間を感じたか。
そこに生きているもの、滅びゆくものを見つけたか。
そこで歓喜して遊び、学び、考える人たちを観たか。
そこで苦悩するもの、葛藤するものの声を聴いたか。
さえずる小鳥、空行く雲を見つめたか。
木々の肌に手を触れ、谷水に手をつけてみたか。
現場を観るとは、そこに生きているものの命を感じ取ること。そこに生じている矛盾をつぶさに理解すること。隠された不正をとらえること。
将来にわたって、人々に影響を与え、損失や欠落をもたらすことにならないか。
現場に行って、車から降りて、足で歩いて、声に耳を傾けよ。
政策を決める人は、いずれその職を去る。去れば、あとは無責任。
しかし、その政策のもたらす結果を受けるのは、その現場に生きる人だ。