伊藤まつをという女性の「石ころのはるかな道 みちのくに生きる」(講談社)という自伝がある。
彼女は、明治27年、岩手県南都田村で生まれ、岩手師範学校女子部で学び、卒業後小学校に赴任して教職に就いた。熱烈な恋愛をし周囲の猛烈な反対を押し切って結婚、教員として、妻として母として、厳しい岩手の風土とたたかいながら生きた、
彼女は短歌を詠んだ。
声あげて泣く場所欲しと願いつつ涙かくして日を暮らしけり
なにごともひとにはいわずわが胸にしかとおさえて耐えゆかんとす
ペスタロッチを夢みるも、教員として、また農家の嫁として、困苦に耐え兼ね、厳寒の夜、雪野原をさまよい、死を想う。
雪の上に顔おしあててわが母をしたい泣きつつ死にゆかんとす
子を負ひて今宵かぎりと北上の岸辺歩みしが果さざりしか
彼女は死ぬことはできなかった。耐えて現実を生き抜こうとする。
灯のともる家路をいそぎ来てみれば火のなきこたつに子らふるえおり
一ぴきのにしん買いきて七人の子ら喜ぶがかなしかりけり
日曜日母を慕いてよる子らにお伽話をしつつ働く
伊藤まつをの生活は、朝3時に起き、家事につき、田畑に出、草を刈り、深夜くたくたに疲れて床に就く。
彼女は17年間の教員生活に終止符を打ち、昭和6年から農家の主婦として、農村家庭の生活、嫁姑の問題にとりくみ始めた。そして敗戦、昭和26年、村会議員、婦人会長として地を這って村の生活改善にとりくんだ。
岩手が生んだ、不屈の女性である。