間(ま)をとる

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テレビの国会中継をしばらく見ていた。

安倍総理を野党議員が質問し追及している。記録を見ながら、早口でまくしたてる野党議員、言いたいことが山のようにある、それを全部言いたいのだろう。議員は、当然意識している。この弁論は安倍首相にぶつけているが、同時に国民にも伝えているのだと。だが、聞いている僕の耳はついていかない。

もうちょっと言い方を工夫したほうがいいですよ。首相から何らかの期待する返答を引き出したい、それに腐心する、それは分かる。けれどもその演説を聞く国民に質問の意図を理解してもらい、共に真実を聞き出す同志になってほしい、そういう思いを込めた演説にしないと、惜しいですよ。

別の野党議員、落ち着いた声で、ゆっくりと間(ま)をとりながら、核心を突く言葉を吐く。冷静で論理的だ。聞いていてもこちらの頭が反応する。首相は例によって、いかにはぐらかそうか、ぼかそうか、焦点をずらそうか、ごまかそうかと考えて答弁しているようだ。が、その議員は核心をずらさない。聞いていて共感する。総理の魂胆が見えてくる。

 

その他の番組でも、落ち着いた声と、間(ま)が大切だ。視聴者は、その間のときに、内容を理解したり、頭を整理したり、思いを深めたり、発見をしたりする。

アナウンサーやタレントで、声の調子がいやに甲高い人がいる。聞いていて生理的に拒否している。絶叫し、ギャハハ、ギャハハ、騒々しい番組は見ないことにしている。

 

久しぶりに、雪かきをした。