「人間の大地」に書かれた次のエピソードには、僕はただ唸るばかりだった。ポルポトから逃れてタイの難民キャンプに入った子どもをめぐる話、犬飼道子が、国連の難民高等弁務官事務所に身を置いて体験したことである。
1979年12月19日、七万人収容のカオイダンのキャンプ場の病者テント内に、ひとりぼっちの子がいた。親は死んだか殺されたか。一語を口にせず空を見つめたまま、衰弱した体は菌にとって絶好の獲物であった。赤十字の医師団は打てるだけの手を打ったが、さじを投げた。子どもは、薬も流動食も、てんで受け付けなかった。
ピーターと呼ばれるアメリカ人のボランティア青年が、テントで働いていた。医師がさじを投げたときから、ピーターが子ども抱いて座った。特別の許可を得て、ピーターは子どもを夜も抱き続けた。
三日目に、反応が出た。
ピーターの目をじっと見て、その子が笑った。
「自分を愛してくれる人がいた。自分を大事に思ってくれる人がいた。自分はだれにとってもどうでもいい存在ではなかった‥‥」、この意識と認識が、石のごとく閉ざされていた子の顔と心を開かせた。
ピーターは泣いた。喜びと感謝のあまりに泣きつつ、勇気づけられて、食と薬を子どもの口に持っていった。
子どもは食べた。絶望が希望にとってかわったとき、子どもは食べた。薬も飲んだ。そして子どもは生きたのである。
回復が確実なものとなったある朝、私はキャンプの主任とその子を見に行った。
「愛は食に勝る、愛は薬に勝る」
主任は子をなでつつ、深い声で言った。
「愛こそは最上の薬なのだ、食なのだ、この人びとの求めるのものはそれなのだ。」
朝まだき、山のかなたからは銃声が聞こえ、土ぼこりの吹きまくっていたカオダインでのあのときを、私は生涯忘れることはないだろう。
何かを与えに、誰かを助けに私は行ったのか。否、与えられ、助けられたのは私であった。
究極的に何がいちばん大切であるか、難民の子らは、難民たちは、ピーターのような若者は、日毎、私に教えてくれたのだ。
インドシナ難民に対して、カネだけでよいとした日本国と日本人を、私は悲哀の限りをもって眺めたのである。
泣くものとともに泣き、喜ぶものとともに喜ぶ他者を人間は必要とする。