日本古代の散骨とヨーロッパの樹木葬

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 万葉集のなかに、散骨に関係した歌がある。

 

巻7、1404の歌

   鏡なす我が見し君を 阿婆の野の花たちばなの 玉と拾いつ

 (鏡のような、私が親しくした君の骨を、阿婆の野の花たちばなの玉のように拾った。)

巻7、1405の歌

   秋津野を人のかくれば 朝まきし君が思ほえて 嘆きはやまず

 (秋津野に、亡くなった君の骨を朝にまいた、君のことが思われて私の嘆きはやむことがない。)

巻7、1407

   こもりくの初瀬の山に霞立ち たなびく雲は妹(いも)にかあらむ

 (初瀬の山に霞が立ち、たなびく雲は、火葬した妹(妻)ででもあろうか。)

 

 土生田純之(はぶたのぶゆき)の研究によれば、記録上の火葬は8世紀から始まっている。火葬した遺骨は珠と見なされ、野山にまかれた。遺骨→霊魂→珠・玉とつながる。散骨は、奈良時代を通じて行われた。散骨される野山は葬送の場、彼岸と此岸の結界だった。

 田中淳夫は、ドイツ、スイスの樹木葬について書いている。

 「ドイツ・スイスは森を墓地とする。ゲルマン民族は森の民だった。市民は長い闘いの末に、森林の所有者である領主や教会から、『誰の土地であろうと、市民は森林の中を自由に歩く権利をもっている』と、『森の自由權』を勝ち取った。中欧樹木葬はスイスで始まり、2014年段階で70箇所の森で樹木葬が行われている。ドイツの樹木葬は、99年間の借用契約を結び、森で行われる。ラインバルトの森が最初で、森の木の根元に遺灰を埋める。それ以外のものを入れることは禁じられている。埋葬した場所はGPSで管理される。樹木葬の森は、最小で25ヘクタールの面積が必要であり、広葉樹が主の混交林が選ばれ、7割以上の落葉樹が茂る。2,013年現在で、埋葬が登録された樹は45,000本。」

 

 僕は墓はいらない。森に眠ることを希望する。樹木葬が実現できないならば、散骨を望んでいる。