人を化かした昔の狐、狐に化かされた昔の人間


     臼井吉見記念館



 「遠野物語」(柳田國男)には、村人から聴き取った昔の不思議話がたくさん収録されている。ザシキワラシの話、山の神の話、山男の話、河童(かっぱ)の話など多種にわたり、キツネの話もある。「遠野物語拾遺」と合わせると、キツネの話は12話載っている。
 キツネとタヌキは、人を化かすと信じられていた。キツネに化かされたという体験談が語られたのは、昭和20年代までである。
 ぼくが小学生だったとき、わが家でも自転車がほしいということになった。子ども5人に祖母もいて、8人暮らしでは家計が厳しく、新しい自転車は買えない。そこで、近所の溝川さんのおっちゃんに頼むことになった。おっちゃんは、何を商売にしていたのかよく分からなかったが、おっちゃんに言えば、古自転車を見つけてくれるというので、母が頼んだ。何日かして、おっちゃんは古い自転車を持って来てくれた。玄関のあがりがまちに腰を下ろしたおっちゃんは、タバコに火をつけて一服しながら、母を相手に世間話をしていたが、先日体験した話だと言って、キツネの話を始めた。我が家の裏に、巨大な古墳があった。仲哀天皇陵として宮内庁の管轄になっている前方後円墳の森であった。
 「野々上から畑の中を帰ってきましたんや。日い暮れて、暗なってましたな。道がぼんやり見えるだけで、途中、林あって池と火葬場ありますやろ。そっから仲哀さんの近くまで来たんですわ。ほんだら、道がふたつに分かれてるんですわ。どっちやったかなあ、わからんようになりましてな。こんなとこに分かれ道あったかな、おかしいな、そう思いましてな、こりゃ、狐かもしれん、そう思たから、だまされたらあかん、道に座ってタバコを一服吸うたろ思て、火つけたんですわ。そしたら、二本あった道が一本になったんですわ。狐ですわ」
 おっちゃんはそんな話をしてから、
 「この自転車、まだまだ乗れまっせ。大丈夫ですわ」
と言って、いくらかの金を受け取って帰っていった。その自転車、友だちの家に遊びに行くときよく乗った。ところが、前輪を支えるハンドル下にのびる軸がゆがんでしまった。それでもぼくは、まがった自転車をギコギコ言わせて乗っていた。

 さて、「遠野物語拾遺」の第204話はこんな話である。

 「これは大正十年十一月十三日の岩手毎日新聞に出ていた話である。小国の先の和井内という部落の奥に、鉱泉の湧くところがあって、石館忠吉という六十七歳の老人が湯守(ゆもり)をしていた。去る七日の夜のことと書いてある。夜中に戸をたたく者があるので起き出てみると、大の男が六人、手に手に猟銃を持ち、銃口を忠吉に向けて、三百円出せ、出さぬと命を取るぞとおどかすので、驚いて持ち合わせの三十五円六十八銭入りに財布を差し出したが、こればかりでは足らぬ、ぜひとも三百円、無いというなら撃ち殺すと言って、六人の男が今や引き金を引こうとするので、夢中で、人殺しと叫びつつ和井内の部落まで、こけつまろびつ走ってきた。村の人たちは、それは大変だと、駐在巡査も消防士も、青年団員もひとつになって、多人数で駆けつけてみると、すでに六人の強盗はいなかったが、不思議なことには先刻爺が渡したはずの財布が、床の上にそのまま落ちている。これはおかしいと、小屋の中を見回すと、貯えてあった魚類や飯がさんざんに食い散らされ、そこら一面に狐の足跡だらけであった。一同さては忠吉爺は化かされたのだと、大笑いになって引き取ったとある。この老人は、四、五日前に、近所の狐穴を生松葉(なままつば)でいぶして、一頭の狐を捕り、皮を売ったことがあるから、さだめてその眷属(けんぞく)が仕返しに来たものであろうかと、村ではもっぱら話し合っていたと出ている。」

 そのころは、新聞にまで狐に化かされた話が出る時代だった。
 現代社会では、狐や狸、天狗や河童、ザシキワラシ、オシラサマ、雪女、山男などの不思議譚は聞くことはなくなってしまった。
 そしてはびこるのは、詐欺師をはじめ、えげつない、非情な、人をだまして骨までしゃぶる、金の亡者、人間の話である。