脱原発という原点

               <写真 戦後すぐに発行された本>

 東日本大震災福島原発事故のあった日から2ヶ月余り経った6月5日に、「朝日ジャーナル」の緊急増刊号が出版された。かつて毎号購読していた「朝日ジャーナル」だから、出版を知らせる新聞広告を見たときは、なつかしかった。廃刊になって久しいが、この国難のかきたてる危機感から「朝日ジャーナル 緊急増刊号」を書店で手にした。
 それから2年4ヶ月余が経過する。
 緊急増刊号には、福島県出身の高橋哲哉(東大教授)の論があった。高橋は、事故から一月余りして、福島の被災地区を巡っていた。

 「飯館村は美しい。山林と耕地と牧草地がうねるように連なり、ところどころで飯館牛がのんびり草を食んでいる。放射能汚染を知らずにこの村に来たら、なぜ6000人の全村民がこの美しい村から出て行かなければならないのか、全く理解できないだろう。村民自身が信じられないだろう。原発とは何の関係もないこの地で、地道に農業や牧畜業を営んできた自分たちが、なぜ突然、村を出ていかなければならないのか。」
 つづいてきた破壊と犠牲。怒りと不信と悲しみの3年だった。今なお帰還できず、人が住めない。人々の胸中につのるあきらめ。
 だが被災地外の人々の心には、慣れ、忘却、他人事の意識が広がっている。基地に苦しむ沖縄を忘却し傍観してきたように。
 あの号で、高橋哲哉は、「原発は犠牲のシステム」であると書いた。
「犠牲にするものと犠牲にされるものとがいる。犠牲の不当性が告発されても、犠牲にする者は自らの責任を否認し、責任から逃亡する。この国の犠牲のシステムは『無責任の体系』を含んで存立するのだ」と指弾した。
 「ポスト・フクシマの歴史的課題とは、原発という犠牲のシステムを、いかに適切に終焉させるか、ということにある。『安全神話』の神話たるゆえんが白日のもとにさらされた以上、この国の原発は止めなければならない。これに対して、今後もこのシステムを支持しようとする者は、誰が犠牲になるのか、という根本問題に答える義務がある。
 ‥‥石原知事は『東京湾原発をつくってもよい』と豪語している。口先だけでないなら『本当につくってみろ』(佐藤前知事)と言うべきだろう。
 かつて『戦争絶滅受合法案』なるものがあった。前世紀の初めデンマークの陸軍大将フリッツ・ホルムが、各国に次のような法律があれば、陸上から戦争をなくせると考えたのだ。
 戦争が開始されたら10時間以内に、次の順序で最前線に一兵卒として送り込まれる。
第一、 国家元首
第二、 その男性親族。
第三、 総理大臣、国務大臣、各省の次官。
第四、 国会議員、ただし戦争に反対した議員は除く。
第五、 戦争に反対しなかった宗教界の指導者。
 ――戦争は、国家の権力者たちがおのれの利益のために、国民を犠牲にして起こすものだとホルムは考えた。だから、まっさきに権力者たちから犠牲になるシステムをつくれば、戦争を起こすことができなくなるだろう、というわけだ。
 原発を推進するのは、政治家、官僚、電力会社、学者などからなる『原子力ムラ』である。とすれば、彼らが真っ先に原子炉に送り込まれる。」

 東京都知事選挙において、脱原発が争点になっている。
 明治時代、富国強兵の国策を遂行するために、足尾銅山鉱毒を垂れ流し続けた。渡良瀬川流域の農地は鉱毒に汚染され、谷中村域は遊水池となって村は池の底に沈められた。政府を糾弾した田中正造は「亡国に至るを知らざれば、すなわち亡国」と言った。結局その予言は的中し、大日本帝国は滅亡した。
 「原発は多くの課題のなかの一つに過ぎない。原発は東京都民に直接関係ない」という論は、本質を見ない論である。細川氏は「国の存亡がかかっている」と言った。すなわちそれは原点論なのだ。「脱原発」の原点からこの国の政策を考えると、国のあり方すべてに政策課題は広がる。それはこの国のあり方、この国の存立基盤をみんなで考えていくことことになる。
 国の政策で国民を犠牲にした歴史。足尾銅山の被害はいまだ終わらない。戦争の被害もまだ続いている。水俣病の問題も終わらない。そして福島原発である。
 いまだこの国は、国民の犠牲の上に「繁栄」を得ようとする政策が進められていく。この国の犠牲のシステム、無責任の体系。原発という犠牲のシステムを、いかに適切に終焉させるか、政府にその気がない。だったら東京都知事選であり、地方政治の民主主義を確立することなのだ。