敗戦と共に書かれた冊子「民主主義の話」

 1945年8月15日に終戦を迎えた日本が、急転直下軍国主義から民主主義へと変化していく、その転身のなかでの国民の順応を示した記録を見つけた。
 奈良の金剛山麓の村に住むことになった2000年、家主の木村さんは、「居抜きと言いましてな、いろんなものを残してあります。何でも使えるものは使ってください」とおっしゃった。築80年の古家は、壁の隙間から青空が見え、ほとんどの屋根瓦が若干ずれていて雨も漏った。夏は窓から蚊が襲来し、冬は、すきま風が部屋の熱を奪って、室内は外気と同じ気温になった。だが、「居抜き」と言われるだけ、確かに古だんすが残され、本棚に火鉢もあった。残された書物のなかには、戦中から戦後にかけての出版物も混じっていた。その一冊に「問答体 民主主義の話」というタイトルの小冊子があった。
 敗戦までは本土決戦も辞さないと国民は竹槍の訓練もしていた。軍部や警察の圧力と、戦争遂行のあがきの中で、「反戦」「非戦」をとなえるものは「非国民」として迫害された。そうして迎えた壊滅的な敗戦。ところが、真夏の日の玉音放送から日数もたたぬうちに、自由だ、民主主義だと、アドバルーンが上がり、とまどいながらもそれに順応していった国民の様子をその小冊子は伝えている。
 「問答体 民主主義の話」という本は、わずか32ページの冊子である。著者は、大阪外事専門学校教授、森澤三郎氏とある。大阪外事専門学校は、大阪外国語学校から1944年に改名し、終戦後4年経って、大阪外国語大学に名前を変えた。戦時中、外国語を学ぶものも戦争協力者として使われた。学校名を「外事」と変えたのは、そういう事情もあったのだろう。森澤三郎氏は教授の後に学長となっている。
 不思議な本だ。文字は活字ではなく、全部毛筆で書かれたものを縮小コピーされて、昭和二十年十二月十日付けで印刷されている。活版印刷ではないのである。森澤氏は奈良県生駒郡生駒町に住み、発行者の辻野禎三氏も生駒町住民、印刷所は京都単式印刷所、発行所は源泉堂書房となっている。十二月に印刷するためには、十一月に原稿が書き始めねばならない。研究準備は十月、と考えてみると、敗戦からあまり時間をおかずに、この本は書かれて、印刷に回されていったのである。表紙は水性絵の具でささっと描いたようだ。
 大阪はその年の3月、アメリカ軍による大空襲によって市内は焼け野が原になった。印刷所も出版社も焼けた。物資は不足し、食べるものもない。そのときに、この冊子のために紙が準備され、爆撃を免れた京都の印刷所が出版したのである。本の代金は、定価一円二十践とある。
 文章は、質問とそれに答える形で書かれている。部分的に省略し現代仮名遣いになおして、いくつかの部分を抜粋する。

「民主主義とはいったいどんなものでしょうか」
「政治の民主主義化は、ポツダム宣言受諾後のわが国にとって、もっとも重要な課題です。」
「うちの子どもなども学校で先生に質問しても答えがまちまちで、一向に要領を得ないようです。」
「(先生は)自由主義の兄弟分だなんて。」
「しからば自由主義とは何ぞやということになりますね。」
「ええ、ついこの間まで少しお気に召さぬことがあると、二言目には『貴様は自由主義者だ』と叱り飛ばすような先生も一人や二人ではなかったのですから、その兄弟分の民主主義が表玄関から堂々と登場したとあってはすっかりめんくらっているわけでしょう。」
自由主義という言葉はずいぶんとゆがめられた意味に使われていたものですね。」
「朝寝して遅刻すると自由主義、物を売って毎度ありがとうございますと言うと、自由主義。」
「そこで一つ定義のようなものをおっしゃっていただけないでしょうか。」
「英国人で哲学者と数学者と社会思想家とを兼ねているバートランドラッセルが言った『デモクラシーとは国家が個人の自由に干渉するを防ぐ方法のうち現在までに案出された範囲では最良のものである』というのは。」
「なるほど、個人の自由に国家が干渉するのはよくない。めいめいの考えにまかせておけというのですね。すると民主主義は自由主義の兄弟分どころか、実は紙の裏表のようなものじゃありませんか。「
「そうです。民主主義とは、すなわち政治的自由主義だと言ってもさしつかえありますまい。」
「しかし個人の自由に任せて、それでよく世の中がおさまったものですね。」
「自由と言っても、決してそんな主我的なものではありません。自発的、自律的、自治的なものです。およそ自由主義の国家くらい、法律の厳守と秩序の維持がよく行なわれているものはないでしょう。めいめいがわがままを通そうとするような政治、それは自由主義でもデモクラシーでもなく、むしろモボクラシーと言うべきでしょう。モボクラシーと言うのは、モッブ、すなわち暴民と言いますか、群盲と言いますか、そうしたもののクラシー、すなわち政治という意味です。」
「民主主義の『主』というのは、いったいどこから出ているのですか。」
「デモクラシーには『主』にあたる言葉は含まれていません。民衆政治と言っても、民本主義と言っても、あるいはまた民意政治と言ってもよいのです。私は民意政治という訳がいちばん適当と思います。」

 このように問答をしながら、著者は中国、フランス、アメリカ、イギリス、ギリシャなどの歴史を振り返りながら、民主主義の思想を語っていく。そして自由について語る。カントをはじめ多くの哲学者が重要なテーマとして自由を取り上げていること、意思の自由のないところには道徳上の責任も生じないこと、自由な民衆は政治についても公民の一人として常に責任ある行動を取らねばならず、誰かがやるだろうというような甘い考えで傍観することは許されない、多数の民衆を長い間あざむくことはできない、と述べる。そして、リンカーンの演説「民衆の政府、民衆による政府、民衆のための政府」に言及し、官公吏の公的行動に対して民衆が追及しうる道が開かれていなければならず、そのために国民投票、国民発案、罷免権を保障しなければならないと論を進めている。
 戦後すぐに、あの混乱の時代の、あの欠乏の世相のときに、このような啓蒙運動を、なけなしの財をはたいて芽生えさせようとした。つくづくその歴史に感嘆する。