日本沈没 2

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 田所博士が低い声で言う、

 「大陸移動が始まって二億年、アルプス造山運動という地殻変動の最盛期が終わってから六千万年、地球史上、未曽有の火山活動をともなったグリーンタフ造山運動が安定を見てから二千五百万年‥‥。

 われわれはふたたび新たな大地殻変動をむかえつつあるのではなかろうか。

 さらに無気味なことは、この地球の四十六億年にわたる歴史のうち、地表活動をまったくぬりかえ、海上陸上の地形から、生物相にいたるまで、まったく一新してしまうような、巨大な地殻変動の起こる間隔は、次第に縮まってきつつあると思われ‥‥

その規模はしだいに激しくなってきている‥‥」

 博士はテーブルを拳でなぐりつけた。

 「未来の歴史の中には、決して類推できない未知の、暗黒の部分があるのだ。

 過去において、そんなことが一度も起こらなかったからといって、それが未来にも決して起こらないとは、誰が言い得よう。わずか数万年の人類の歴史の中で、どれほどの体験をしてきたか。わずか二世紀の近代科学の探求の中で、われわれはどれほど人類以前の過去の歴史について知り得たか。

 地震による大被害、台風洪水による被害についても、それが起こってしまってから、はじめてわれわれは災厄のすさまじさを知らされる。‥‥」

 では予測できない未来をどうやって予測しようとするのか。

 「直感とイマジネーションだ。」

 博士は叫ぶ。

 「直感とイマジネーション、科学はこの二つを方法として厳密に取り入れるところまで発展していない。にもかかわらず、近代科学を飛躍させてきたのは、この二つの力なのだ。‥‥」

 これまであり得なかったと現代人の思うこと、それがこれから起きる。すでに連続大地震が起きている。「最悪の場合」、田所博士は唾を呑み込んだ。

 「日本列島の大部分は海面下に沈む。」

 小説はそこから緊張度をはらんで、読者をひきつけていく。

 関東地方に大規模な地震発生、東京湾相模湾一帯を津波が襲う。そしてこんな描写が現れる。

 「点在する木立ちから黒いものが空に向かってワラワラと立ち上った。鳩が、雀が、カラスが、鳥たちが突然狂ったように飛び立ったのだ。同時に夕やみにひたされた東の方の雲から、幾条もの電光が走った。」

 そして下から突き上げるような衝撃が襲った。

 

 

日本沈没 1

  

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 小松左京のSF小説「日本沈没」のなかに、こんな文章がある。

 地球物理学者、田所博士の弁。

 「日本など、こんな国なんか、わしはどうでもいいんだ。

 わしには地球がある。大洋と大気のなかから、もろもろの生物を何十億年にわたって産みだし、ついには人類を産みだし‥‥、自分の産みだし育んだそいつらに、地表をめちゃめちゃにされながら、なおそれ自体の運命、それ自体の歴史をきざんでゆく。

 この大きな、しかし宇宙のなかの砂粒より小さな星。

 大陸をつくり、海をたたえ、大気をまとい、水をいただき、

それ自体の中に、まだまだ人間の知らない秘密をたたえた、この地球。

  わしの心はこの地球を抱いているんだよ。

 この温かい、湿った、でこぼこの星を‥‥

あんなに冷たい真空の、放射線と虚無の暗黒に充ちた宇宙から、しめっぽい大気でやさしくその肌を守り、その肌の温みで、大地や緑の木々や、虫けらを長い間育ててきた、このなにかしらない優し気な星を‥‥

 太陽系の中で、ただ一つ、子どもをはらむことのできたこの星を‥‥

 地球はむごたらしいところがあるかもしれん。

 だが、そいつらにさからうことは、あまり意味がない。わしには地球があるのだ。」

 

  その前段に、こういう文章もあるのだ。東京風景。

 「アルミニュウムとガラスの、巨大な本を立てたような高層ビル群が建ち並び、ビルとビルの二十階あたりを、道路をまたいで白い通路が縦横につないでいる。ビルの十階あたりを貫いて、高速道路が走り、巨大な百人乗りのヘリバスが騒々しく飛び立っていった。

 この街は、上へ上へと延びる。地上を行く人は、しだいに日のささぬ谷間や地下に取り残され、じめじめした物陰で、何かが腐ってゆく。

 古いもの、取り残されたもの、押し流されてたまってゆくもの、捨てられたもの、落ち込んで二度と這い上がれないもの‥‥

 悪臭のガスを発散しながら、静かに崩壊過程をたどりつつあるものの上にはえる、青白い奇形のいのち、 

 この街は、いつまで変わり続けるのだろう?」

 

 そして、日本各地で巨大地震、火山の噴火が頻発する。

 

 

 

 

 

 

花、満開

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  工房の屋根より高く育ったヒメコブシに、ピンクの花が咲き、

それを待っていたヒヨドリがやってきて、花の蜜を吸う。

 昨年は、ヒヨのために、花がさっぱりこんと、貧素になったから、

今年は、満開のときを守るために、ヒヨ追いの「鷹の模型」をつくって、ヒメコブシの枝に紐でぶらさげた。

 竹ひごを骨にして、そこに黒いポリを張り付け、翼も胴体も尻尾もある、いかにも鷹らしい。

 「鷹の模型」は、少しの風でも、動き回り、生きているように見える。

 さすがのヒヨも警戒して近づかなかった。

 ところが、ヒヨも賢い。こいつは、同じところでしか動かない。攻撃なんかしないぞ。ニセモノだ。

 そう勘づいたらしい。二羽のヒヨが平気で近づいてくるようになった。

 風の強い日、模型は風にあおられて、落ちたり一部壊れたりした。

 もう、模型は取りはずした。

 食べたいだけ食べろ、ヒヨ。

 

 今いろんな花が庭で咲き誇っている。

 スイセンは、九種類、百本以上が、清楚な姿で咲き誇っている。スモモ、梅も満開、

野を歩くと、桜が満開。

 野沢菜の花菜が、おひたしにすると、おいしい。

 ジャガイモ、植えなけりゃ、いつも遅れ気味だ。

「どあい自然公園」が危機に直面

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 三郷地区の、黒沢川上流にある「どあいの森」、「安曇野市どあい自然公園」が今、危機に直面している。
 そこは、「安曇野ワイナリー」からさらに黒沢川をさかのぼったところにある。
 長年その谷の一軒家に住む大浜夫妻は、そこを活動拠点にして「どあい冒険くらぶ」という子どもたちのキャンプを営み、自然の中で子どもたちの感性と心身を鍛えてきた。
 また、東日本大震災の後、2012年の夏から、「安曇野ひかりプロジェクト」は、フクシマの親と子どもたちを7年間にわたって受け入れ、子どもたちの心と体を癒してきた。
 周囲が森に囲まれ、車の音も聞こえない「どあいの森」。
 「どあい自然公園」の誕生には、市民や三郷中学校の生徒たちもかかわっている。多様な生物が生息できるように、ビオトープをつくり、昆虫の好む木を植え、公園のトイレは自然の循環トイレになっている。
 ここにはチョウやヤンマ、カブトムシ、クワガタ、池の水生昆虫、小鳥たちが棲んでいる。キャンプの夜の静寂と、星空の美しさは格別だ。
 その森が今、危機に直面している。森が伐採されて、そこに太陽光発電のパネルが一面に設置される計画が進みつつあるという。
 これが実際に行われれば、市民憩いの「どあい自然公園」も、「どあい冒険くらぶ」キャンプ場も、決定的な被害を受けることになるだろう。
 
 原子力発電を廃止し、自然エネルギーを活用する、それは必要なことだが、同時に、子どもたちや市民が、自然に触れる憩いの場は、確保され守られねばならない。
 安曇野に住む子どもたちは豊かな自然の中で生活しているように見える。しかし、移住してきた親が言っているのを聴いた。
 「生活の場に、カブトムシやクワガタムシ、ヤンマやアゲハチョウのいる林や草原や水場がひとつもありません。どこかにありますか。」
 昔から安曇野に住む高齢者が言った。
 「初夏になるとホタルがいっぱい飛んだがのう。今は一匹もいない。」
 
 「どあいの森」の自然、いつの日にか、ここで夏を過ごしたフクシマの子どもたちは、思い出のこの場所にやってくることもある だろう。フクシマの親子にとって、かけがえのない安曇野の聖地。
 
 市の行政にたずさわる人たち、学校の教職員の方々、PTAのお父さんお母さん、市民のみなさん、解決策を考えてください。

地球がいくつ要る?

  

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 朝から居住区の堰掃除だった。農業用水路のゴミや草、落ち葉のたまっているのを、近隣の人が集まって取り除く。

 作業の途中、雑談する。イワちゃん、胸骨を折って、入院している。足も腰も弱っている。一緒にコーラスもしてきたのに、もう言葉もほとんど話さない。息子さんが伝えてくれた。

 一時間ほど作業して帰ってきた。膝が痛い。疲れた。

 どっこいしょ、椅子に座って新聞を読んだ。

 福島申二の「日曜に想う」というコラム記事にうなった。

 「コンクリートやプラスチックなど、地球上にある人工物の総重量が、同じ地球上の植物や動物の総重量、すなわち生物量を上回ったと推算する論文をイスラエルの研究チームが発表した。20世紀初めには、人工物量は生物量のわずか3パーセントだったというのに。

‥‥先進諸国は、大量生産と大量消費に首までつかり、世界中の人が日本人なみの生活をしたら、地球が2.8個分必要になると言われている。アメリカ人なみなら、5個分だと。」

 この文章、恐ろしい未来を予言している。

 コンクリートの建造物、石油、プラスチック製品、鉄製品、ガラス製品、

身の回り、人工物だらけだ。都会も、地方都市も、

 

 このままいけば、地球上の森林や、農地や、美しい海が、今の1.7個分は必要だという。

 地球を使い捨てるかのように、モノを使い捨てる。

 未来も考えず、

 なんとかなるさ。

 繁栄を求めて、もっと、もっと、もっと。

 原子力発電、火力発電、もっと、もっと、もっと。

 軍事力、経済力、もっと、もっと、もっと。

 

 旧約聖書バベルの塔。神の審判の下る時、

 人類の終わり。

 

 

 

 

ヒバリが鳴きだす

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 朝六時、日の出が早くなった。もうすぐ日が昇る。

 野の道で、塚原から歩いてくる、いつもの散歩おじさんに出会う。

 挨拶をかわす。

 「今日は温かいですねえ。」

 「温かいですねえ。ヒバリが鳴きだしましたねえ。」

 「えっ、ヒバリ? ほんとうだあ。ヒバリだあ。」

 麦畑の上に飛び上がってきたヒバリが三羽。麦はまだ小さい。

 

 ぼくが小学三年生のころだったか、河内のヤンチャ連中は、音楽の時間になると、「ヒバリの歌」を先生に催促した。先生はオルガンを弾く。ヤンチャ連は声を張り上げて歌う。

 

 ピイチク チイチク ピイチク チイチク

 ピイチク チイチク チイチ

 ヒバリが鳴きだす むぎばたけ

 

 簡単も簡単、これが一番。

 なんでこの歌がヤンチャ連に気に入られたのか、わからない。

 たぶん鳴き声のところが、歌っていて気持ち良いのだろう。

 

 急に温かくなってきて、シマヘビが冬眠から覚めて、出てきた。一メートルほどのシマヘビが道端に長く伸びて、頭を草の間に突っ込んでいる。ストックで触ってみると、少し動いたが、逃げようとしない。昼間は温かかったが、夕方冷えてきた。冷えて動けなくなっているのだと思った。このままここにいたら、車にひかれるか、カラスにやられるかすると思ったから、いったん家に帰って袋をもってヘビ救出に行った。ところが、ヘビは姿を消していた。

 愛犬リキを連れて、矢口さんがやってきた。

 「ヘビ、救出です。」

 「ヘビね。モグラの穴に頭を入れると中に入って行って、モグラを退治してくれるよ。庭のモグラ、一匹もいなくなるよ。ヘビ、食べるとおいしいよ。」

 「モグラを食ってくれますかあ、それはいいなあ。我が家の畑、モグラだらけでねえ。」

 けどねえ、ヘビを食べるなんてできないですよ。

 

 

 

辻邦生のつづき

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 そして、辻邦生は、「詩への旅 詩からの旅」で書いていた。

 

 「私が信州に暮らしたのは戦中から戦後にかけての時期で、東京から疎開した人々でもなければ、山や谷を訪れる人はいなかった。敗戦で虚脱したあとの数年は、信州の美しい自然は、ただ、むなしい太陽の光にやかれるか、荒涼とした秋の終わりの風に吹かれていた。

 私はそういう、現在では考えられない無人の信州を、それゆえにいっそう自然の美しさを惜しげもなく示してくれた信州を、気ままに心行くまで味わった。

 東京から帰ってくるとき、甲府を過ぎると見えてくる八ヶ岳の姿に、私は何度胸をとどろかせたかしれない。

 列車はあえぎあえぎ煙を吐き続け、塩尻の長いトンネルをぬけると松本平が杉木立のあいだに見えた。

 

 私は今も、学校の裏手の林から、夜明けに聞こえてきたカッコウの声を忘れることができない。雨戸をあけると、畑の向こうに山が迫り、霧がかかっていた。」

 

 どこでもいい。ページを繰ると、心にしみる。今朝は、フィッシャーディースカウの歌う、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」を聴いている。