山のこと海に伝へよ雪解川

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 ランを連れて朝のウォーキングに出かけようとしたら、妻が奥から顔を出して、

  「山のこと海に伝へよ雪解川(ゆきげがわ)」

と、テレビで放送されていた俳句を朗誦した。ちょうど今、NHK俳壇に取り上げられていた俳句よ、と言う。印象深かったから、ぼくに伝えたかったのだ。ぼくはその俳句を知らないが、心に響くものがあった。ぼくも声に出してみた。

      山のこと海に伝へよ雪解川

 一瞬ひらめいたのは、今年は山に雪が少ないよ、川の水も少なくなるよ、ということだった。雪解け水は山の木々の落ち葉にしみこみ、その山清水が集まって谷川となる。山の水は海に流れて、プランクトン豊かな海をつくり、多くの生き物を養う。山豊かなれば、海豊かなり。

 また思う。日本の山は、杉、ヒノキ、カラマツが植林され、手入れも行き届かず、広葉樹林が少なくなって山の生き物も減少している。広葉樹林の生み出す落ち葉や木の実は、山の生き物の生命を育む。だが山の生き物の餌は乏しい。

 また思う。地球温暖化のこと。これもまた人間の仕業。

 

 散歩していると、キジの声が連続して聞こえた。声の感じは警戒音だ。声は小さな雑木の林から聞こえる。安曇野からどんどん雑木林がなくなり、わずかに残った木立の下にキジが巣を作ったのだろう。悲鳴に似たキジの声、ぼくはあたりをしばらく観察した。距離は二百メートルほど離れている。すると動くものがいる。キツネのようだ。その林には以前からキツネが住んでいた。キツネだとするとキジは無事にはいられない。ぼくは注視を続けていたが、しばらく聞こえていたキジの声は止んでしまい、どうなったのかわからないまま帰ってきた。

 

  今朝の新聞の朝日歌壇にこんな歌が選ばれていた。

 

 ひとりひとつのたましい灯すいのちだろ甲なんて呼ぶな 

 

作者はさいとうすみこさん。相模原障害者殺傷事件の公判では、殺人の被害者は「甲」と呼ばれ、殺人未遂の被害者は「乙」と呼ばれた。

 「障害者に対する差別を心配する遺族や被害者家族の意向をくんでのことという。差別を許容する社会への怒り。」と選者の評は書いている。

 

もう一首、心に響いた歌があった。

 

   百年の書店を廃(や)めるときは来ぬ本の衰へ吾の衰へ

 

 沓掛喜久男さんの作。百年続いてきた書店、それが廃業となるのか。本が売れない。私も年をとった。

 

間(ま)をとる

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テレビの国会中継をしばらく見ていた。

安倍総理を野党議員が質問し追及している。記録を見ながら、早口でまくしたてる野党議員、言いたいことが山のようにある、それを全部言いたいのだろう。議員は、当然意識している。この弁論は安倍首相にぶつけているが、同時に国民にも伝えているのだと。だが、聞いている僕の耳はついていかない。

もうちょっと言い方を工夫したほうがいいですよ。首相から何らかの期待する返答を引き出したい、それに腐心する、それは分かる。けれどもその演説を聞く国民に質問の意図を理解してもらい、共に真実を聞き出す同志になってほしい、そういう思いを込めた演説にしないと、惜しいですよ。

別の野党議員、落ち着いた声で、ゆっくりと間(ま)をとりながら、核心を突く言葉を吐く。冷静で論理的だ。聞いていてもこちらの頭が反応する。首相は例によって、いかにはぐらかそうか、ぼかそうか、焦点をずらそうか、ごまかそうかと考えて答弁しているようだ。が、その議員は核心をずらさない。聞いていて共感する。総理の魂胆が見えてくる。

 

その他の番組でも、落ち着いた声と、間(ま)が大切だ。視聴者は、その間のときに、内容を理解したり、頭を整理したり、思いを深めたり、発見をしたりする。

アナウンサーやタレントで、声の調子がいやに甲高い人がいる。聞いていて生理的に拒否している。絶叫し、ギャハハ、ギャハハ、騒々しい番組は見ないことにしている。

 

久しぶりに、雪かきをした。

 

中村哲さんを、安田純平さん書く

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 ジャーナリストの安田純平さんが新聞に、中村哲さんのことを書いていた。

 安田さんは、シリアで武装勢力に拘束された経験を持つ。命の危険を感じつつも、現地にかかわり続け、処刑の一歩手前まで行って解放された。

 

 「中村さんは、なぜ現地にこだわったのか。1978年、中村さんは登山隊に参加して初めてパキスタンを訪れた際、山岳地帯で自給自足の暮らしをする村々で、一目で病人とわかる人に追いすがられながらも、見捨てざるを得ず、職業人(医師)として『深い傷になった』。この後、アフガンに接するパキスタンペシャワールの病院にハンセン病対策支援で着任、絶望的な状況におかれた患者たちの無残な姿に接して苦悩し、人々により深く寄り添っていく。」

 その後、ソ連軍のアフガン侵攻、その撤退後アメリカ軍の侵攻、そしてアフガンは武力抗争と略奪の横行する無政府状態になる。中村さんはその中で、非武装を徹底し、井戸を掘る医師となる。1600本の井戸を掘った。用水路を通し、砂漠に1万6千ヘクタールの農地を生み出した。現地がいかなる情況になろうとも、見捨てず続ける。

 安田さんは、中村さんの三冊の著書を紹介している。

 「アフガニスタンの診療所から」

 「医者 井戸を掘る アフガン旱魃との闘い」

 「天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い」

  この人こそ、ノーベル平和賞に値する人だった。

あやしい話

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  日曜日の午後、「野の学舎」に、きのこ栽培の会社に来ている実習生のディン君が日本語の勉強に来た。午後二時に来るというので、薪ストーブに火を入れておいた。やってきたディンは燃えているストーブを見て、うれしそうな顔をして写真を撮った。亜熱帯のベトナムにはこんなストーブはない。

 ランちゃんが散歩に行きたいと言って、ワンワン鳴くから、三時半にトイレ散歩に連れて行った。リードをディン君に持ってもらって、野を散歩。ディン君は、こういうひとときが、うれしい。子どものころに犬を飼っていたという。

 散歩から帰ってコーヒーを淹れて飲む。この日は、ディン君がベトナムから持ってきたベトナム産のコーヒーをいただいた。ディン君は、ベトナムでもよくコーヒーを飲むと言う。濃いコーヒーが好きだと言う。

 彼はこんな話をした。松本にベトナムの友達がいる。友達は留学を名目に日本に来た。友達は、日本語学校に通いながら、二つの職場で働き、お金を稼いでいる。日本語の専門学校に留学というのは、日本に滞在して稼ぐのが目的で、学校ではあまり勉強していない。学校も教えることよりも、生徒数を確保することを目的にしているようで、生徒が学校を休もうが、授業中眠っていようが、おかまいなし。その友達が病気になった。松本の病院で診てもらった。三日ほど病院へ通った。たいした治療もなく、病気は治った。治療費の請求を見て驚いた。8万円。保険に入っていたはずだが、なぜかわからない。

 友達はディン君のところに泣きついてきた。金を貸してくれ。でもディン君もそんな大金はもっていない。

 よくある話だと、思う。これは公的機関で相談したほうがいい。そこでぼくは、ひとまず治療費の請求書と受領書をもって松本市役所の市民課に行き、どうしたらいいか相談したほうがいい、とディン君に助言した。

 ディン君は友達に連絡を取ってみただろうか。 

 

 

いいねえ

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 14歳の中学生、女の子。声の欄に投書していた。(朝日新聞

 声欄の右隅、ふだんは飛ばし、社説と次のページの意見欄に目が行くのが、今朝は不思議にこの中学生の声が、こちらの目に飛び込んできた。「この文章はおもしろいよ」、そういうのは、向こうからピッピと電波みたいに知らせてくる。

 大阪の中学生、岩下ルナさん。

 

「お父さんは大工です。

 小さい頃は、汽車やおもちゃを、木で作ってくれました。

 大工という仕事は、のこぎりやカッターなどの危ない道具を使うので、様々な危険を伴います。

 背中や足には、たくさんの傷痕があり、中でもいちばん大きなのは、腰のあたりの、鉄の棒が刺さった痕です。今は治っていますが、刺さった時は痛かっただろうなと思いました。

 お父さんは、カッターで指の皮がめくれる感じに切った時、驚きの行動に出ました。皮を戻し、絆創膏(ばんそうこう)ではなく、なんと、近くにあった粘着テープを巻きました。今その部分は治っていますが、変な感じでくっついています。

 お父さんは、本当に致命的なけがをしないかぎり、病院へ行かないみたいです。

 私としては、たくましくて、かっこいいお父さんには、長生きしてほしいので、とにかく鉄の棒が刺さるような大けがをした場合は、病院に行ってもらいたいです。」

 

  いいねえ。何がいいかなんて、言わないよ。いいねえ。

 

中村哲、哀悼の歌

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              無言館

 

 

 12日の「朝日歌壇」に、中村哲さんの死を悼むたくさんの歌が投稿され、四人の選者全員がその中から1首、あるいは2首を選んでいた。選者は一人10首を選ぶ。四人で40首。中村哲氏の追悼の歌は5首選ばれていた。

 短歌は澄んだ水面(みなも)に空や木々を映すように、人や時代を映す。

 

 共に撃たれしアフガンびとを悼みたる家族の声のとうと(尊)かりけり

                   中原千絵子

 この歌の評に佐々木幸綱は書く。「福岡での中村哲氏の告別式における長男、健さんの挨拶は、アフガニスタンの運転手、警備の人への哀悼のことばからはじまったという。」

 

 ノーベル賞に華やぐ画面切りかわり中村哲氏の柩(ひつぎ)が映る

                   武井裕子

 この歌の評に高野公彦は書く。「昨年12月は吉野彰氏のノーベル賞受賞、そして医師中村哲氏の急死、吉から凶へ変わるのを茫然と見る作者。」

 

 撃たれたる医師のひつぎを肩にして大統領の皺(しわ)ふかき頬

                    井上孝之

 自らを勘定に入れぬ生き方は中村哲宮沢賢治

                    二宮正博

 

 この二首は、馬場あき子の選。評に言う。

 「たくさんの中村哲医師の追悼歌。大統領の表情から事の重大さを察する。中村氏と賢治の対置も感銘深い。」

 

 そして、選者永田和宏は次の歌を選んでいた。 

 吉野氏を祝い中村氏を悼むテレビは器用に表情(かお)を付け替え

                   寺下吉則

 

 ぼくは、「 撃たれたる医師のひつぎを肩にして大統領の皺(しわ)ふかき頬」に心が

共振した。柩をかつぐ大統領の顔はたしかに悲嘆と苦悩の表情だった。アフガンの平和を取り戻すには、医者だけではできない。食べるものを確保する、生きることに希望を持てるようにすることだ、そのために農業を取り戻さねばと、砂漠に水路を引き、緑を増やし、アフガンに命の灯をともしてきた中村氏のペシャワール会。アフガンにとってかけがえのない人を凶弾が撃ち殺した。 

  

  

日本という国

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 昨夜から朝まで雪が降り、数センチ積もった。

 道から家のポストまで、雪の上に足跡が残っていた。新聞を配達してくれた人の足跡だ。早速、新聞を読んだ。

 

 日本の現状、日本の未来への不安、いくつかのデータが取り上げられていた(朝日新聞)。

 ◆「世界経済フォーラム」の報告書、男女平等は達成されているか。

 日本は153箇国中で、121番目。

 フォーラム理事長は元国連大使、今も国連事務総長特別顧問。その高須幸雄の談。

 「10年前、海外から帰国したとき、がくぜんとした。日本は、子どもの虐待、DVの増加、高齢者の孤独死、非正規雇用の広がりなどのニュースであふれていた。」

 ◆「日本財団」の調査。9か国の17歳~19歳の9000人を対象に訊く。

 「自分で国や社会を変えられると思う。」

 「社会課題について積極的に議論している。」

 「ハイ」と答えた人の割合、日本最下位。

 ◆「言論NPO」の世論調査

 「政党や政治家に、日本の課題の解決は期待できない」と答えた人は、7割。

 「国会は言論の府に値する」と答えた人は、9パーセント。

 

  それでも政権を握っている人たちは、自分たちの政治・政策は支持されていると思っているらしい。サイレントマジョリティは自分たちに賛成している、と思っているらしい。

 どうしようもない、無力感が、浸透している。

 小学生よ、デモに出ようよ。

 中学生よ、デモに出ようよ。

 高校生よ、デモに出ようよ。